今までの長きに亘り、様々なメディアを通して様々なメッセージを発信してきましたが、その度に、敵は増えるし、嫌われるし、あげく誰も聞く耳を持たないから何も良いことは無いのに、それでも、体の中に溜めこむだけではいずれ爆発しそうなので、圧力弁のように、時々、内圧を下げてきました。
一つ留意していただきたいのは、さすがの私も、最初からレース界の人達に向かって、アホだのバカだの猿だのと罵っていた訳では無く、20年以上前に、技術と産業を重視して日本の自動車レースの発展振興を図ろうと提唱しだした頃は、レース界の諸先輩にも御理解いただけるようにと、それはそれは丁寧に御説明申し上げていたものです。当時の文章も残っていますから証拠はあります。
それなのに、それから20年以上に亘って同じことを言い続けているのに、レース界の頑迷固陋、と言うよりは、何も考えていない人たちは、私の予言した通り、日本の自動車レースはマイナーなまま停滞し続けているのに、それでも耳を貸そうとしないのですから、そりゃ、私だって語気は荒くなりますし、尊敬の念は薄れていきますし、パドックは猿山のように見えてきますよ。だから、最近の私の文章を見た人は、これじゃ、伝わるものも伝わらないよねと、まるで私の言い方に問題があるようにケチをつけて来ますが、それは、同じことを言い続けて伝わらない理解力の乏しい人達への苛立ちが、20年間という歳月の中で煮詰まって濃度を増し、沸騰して膨張し、段階的に表現がエスカレートしていった已む無き結果である事をご理解いただきたいと思います。
まあ、言い訳っちゃ言い訳ですし、開き直りと言えば開き直りですが、問題は表現ではなく内容です。今や備忘録にしか過ぎませんが、日本のレース界で、こんな事を言っていた人も居たなと言う爪痕を残すつもりで記録しておきます。
COLUMN / ESSAY
CONTENTS
- 11 Jul. 2024 国産レーシングカーの可能性とレーシングカーの安全性について一言 ―レース界事情―
日本自動車レース工業会(JMIA)が発表した次期フォーミュラ構想を見て、またぞろ、くどくどと愚痴を繰り返す隠居老人の独り言です。 - 01 Jan. 2024 HAPPY NEW YEAR
- 15 Apr. 2023 「ブラジャーVSレーシングカー 2-digest-」 ―悲痛な告白―
私は2012年に別居して離婚に向かいますが、離婚に際して10億円にあまる私の資産を奪われてしまい、計画していた「童夢と林みのるの最後の夢」というプロジェクトが破綻してしまいます。その事件の詳細を語る「ブラジャーVSレーシングカー 2」の出版を予定していますが、先行して20分で読める「ブラジャーVSレーシングカー 2-digest-」という小冊子を制作し本サイトに掲載しています。 - 01 Jan. 2023 HAPPY NEW YEAR
- 10 Aug. 2022 「童夢と林みのるの最後の夢」 山口正己氏の寄稿から抜粋
私が引退したのも子会社を譲渡したのも、全ては「童夢と林みのるの最後の夢」を実現するための布石だったのですが、元嫁の反乱により計画は破綻してしまいます。山口正己氏が、その壮大な計画の内容と瓦解までの経緯を書いてくれているので紹介しておきます。巨大な熱気球が黒いカラスのひと突きで破裂する恐ろしい話です。拙著「ブラジャーVSレーシングカー 2」の中の寄稿文から抜粋しています。 - 20 Apr. 2022 「絶対に死なないレーシングカー」開発プロジェクト
正確には「絶対に死なないレーシングカー」開発プロジェクトの挫折の記録と言うべきであり、老人にありがちな「わしも若い頃は・・・」的な自慢話に過ぎませんし、結果的に失敗談でしかありませんから、黙ってお蔵入りにしておけば良いものを、それなりに金も時間もエネルギーも投じたプロジェクトだった故に、このまま葬り去るのは忍びなく、せめて、ここで密やかにお披露目しておきたいと思います。ご笑覧いただければ幸いです。 - 01 Jan. 2022 HAPPY NEW YEAR
- 28 Aug. 2021 「日本の自動車レースにおける産業革命論」 ―終焉における鎖国論―
マイナーな状況に甘んじるレース界の改革には力が及びませんでしたが、それなら、思い切って鎖国してしまった方が日本のレース界は発展振興するという提言です。 - 01 Jan. 2021 「遥かなる童夢」 ―童夢との別れー
2015年に私が引退すると同時に、熱心に童夢の継承を望んでいた友人に、レーシングカーを作り続けることを条件に譲渡しましたが、その後もレーシングカーを作らなかったので文句を言い続けていたところ、紆余曲折を経て、現在は、私とは全く関係も接点も無い会社になっています。ここでは、その紆余曲折を解説しています。 - 01 Jan. 2021 HAPPY NEW YEAR
- 24 Nov. 2020 さようならネコちゃん!! -RIP-
半世紀以上も前に本田博俊氏に紹介されて以来、LAに住んでいるのに関わらず、しょっちゅう会っていたような気がするネコちゃん(金古真彦)が亡くなりました。DOME USAの社長も任せていたくらい密接な関係だったので寂しい限りです。 - 10 Dec. 2019 「フォーミュラ・レースの裏と影と闇」 -レース界批判―
私が長年に亘って訴え続けてきた「日本の自動車レース産業を育てないと自動車レースの発展振興は有り得ない」という主張は日本のレース界には受け入れられませんでしたが、それには訳がありました。私が引退してレース業界から離れた今だから言える「フォーミュラ・レースの裏と影と闇」。 - 01 Jan. 2019 HAPPY NEW YEAR
- 01 Jan. 2018 HAPPY NEW YEAR
- 01 Jan. 2017 HAPPY NEW YEAR
- 30 Nov. 2016 「やっと落ち着きましたので新居を紹介します」 -お知らせ-
長らくに亘るマンションの小部屋の幽閉状態は限界を迎えていましたが、暴発のギリギリのタイミングで新居が完成しましたので、そこに至る説明と共に、新居の全てをお披露目します。 - 01 Jan. 2016 「2016年のいろいろ」 -今年の抱負-
ここのところ、これでもかと言う不幸の連続でしたが、だからと言って私が寝込んでいる訳でもなく意気消沈している訳でも無く、私生活においては、それなりに隠居生活をエンジョイしていますので、2016年に向けての抱負を語っています。 - 01 Jan. 2016 HAPPY NEW YEAR
- 15 Jul. 2015 童夢の終わりと始まり ―引退パーティー-
それまでの友達の多くが元嫁側に流れたおかげで、そのほとんどがレース界の人たちだったが、このホームページのコラムなどを読んでもらえば解るように、今まで、散々にバカにして猿扱いしてきたレース界の人たちが、こんなに大勢、遠くから駆けつけてくれるのだから、さすがの私もウルっときたし、心から嬉しいと思ったし、感謝しか無かった。写真は、写真館の「童夢の終わりと始まり」に収録されています。 - 13 Apr. 2015 「SFシャシーがDallara になった訳」 ―レース界事情―
2012年、それまで、何を言っても外国に貢ぎ続けていたJRPが、初めて、スーパー・フォーミュラのシャシーの国産化について打診してきましたが、それには裏があり、その後、契約の直前になってドタキャンしてきましたが、それにも裏があるのに、それを私のせいにしている開眼性盲目症の人も居るので、世の中、そんなに単純じゃないよと、その実態を教えてあげるコラムです。 - 01 Jan. 2015 HAPPY NEW YEAR
- 23 Nov. 2014 「風流舎」誕生秘話 -裏話-
風流舎は零細なレーシングカー・コンストラクターが建設するには、あまりに大規模な設備でしたから、誕生以来、様々な憶測が語られてきましたが、しかし、その実態は、噂の対極にある、童夢がホンダやトヨタの要望に応えて一肌脱いだ、どちらかと言えば奉仕的な取り組みでした。しかし、世間からは様々な難癖が付けられてきましたから、ボケて言い訳も出来なくなってしまう前に、実態を暴露しておきたいと思います。 - 23 Aug. 2014 「童夢F-110(FIA-F4)が不細工な言い訳」 -裏話-
もうすぐ「童夢 F-110(FIA-F4)」の実車が発表となりますが(8/29 鈴鹿サーキット)、仕様や性能については発表をお待ちいただくとして、ここでは、実車をご覧になって「なんと不細工な!」と思われるであろう方に、先だって、言い訳をさせていただきたいと思います。 - 01 Jan. 2014 HAPPY NEW YEAR
- 30 Nov. 2013 「Aloha from Hawaii」 -結婚しましたー
- 28 Nov. 2013 「FIA-F4発進秘話」 ―トヨタの支援―
必然と思われたFIA-F4の開発はスタートもおぼつかない状況が続いていましたから、堪りかねた私が自腹で進めると宣言した直後にトヨタが支援を申し出てくれたので、それから開発に火が付き開幕戦の盛況に繋がっていきます。 - 20 Aug. 2013 「小型黒船の来襲<FIA-F4がやってくる>」 ―危機を訴えるー
日本の無策の帰結として海外のFIA-F4が日本のマーケットに雪崩れ込んでくるという時に、それでも動こうとしない日本のレース界に対する警告です。まあ、いつもの愚痴ですが。 - 26 Apr. 2013 「40㎡からの脱出!第2の仮住まい開始」 ーお知らせー
2012年4月に別居した時は、友人のマンション屋から買った40㎡の小さな新築マンションに身を寄せましたが、いかんせん狭すぎて身動きも取れません。それでも長らくに亘って留まっていたのは、当時、元嫁に占拠されていた童夢発祥の地(宝ヶ池旧本社)を取り戻して居宅にするつもりだったからですが、解決が長引いていたので、約1年後、一時避難的に大きなマンションを購入して転居しました。まだまだ宝ヶ池は返ってくるものと思っていましたが取られました。 - 01 Jan. 2013 HAPPY NEW YEAR
- 07 Sep. 2012 「日本自動車レース工業会 会員の皆様へ」 ―足跡レポートー
昨秋、日本自動車レース工業会(JMIA)の会長を辞任した頃に、会員の皆様に、今までのJMIAの活動内容を理解していただくために書いたものですが、いわゆる「物言えば唇寒し」的雰囲気から封印していました。
けれど、私が息を潜めていたからと言って何が変わる訳ではないので解禁です。 - 20 Feb. 2012 「童夢は強いの?弱いの?」 ―批判への批判―
「童夢はレースで結果を残せていない」と揶揄されることが少なくありませんが、我々はそうは思っていません。そのギャップを検証します。 - Oct.17 2011 「SUPER GTお前もか! 外国崇拝の続くレース界」 -レース界評論-
「SGTCの未来はあっちかこっちか?あるのか無いのか?」唯一、日本でまともなイベントの体を成しているSGTCに、頑張れのエールを込めて・・・ - 03 Nov. 2010 「あほらしさ極まるJAF-F4事件」 -レース界評論-
F4問題や日本の自動車レース事情に関する評論と、あまりに低俗なレース界の反応にあきれ果て、何でこんなバカどものために私が私財を投じなくてはならないんだとモチベーションだだ下がりの頃の文書です。 - 25 Aug. 2010 「Graduation from Le Mans」 ―ルマンの話題―
童夢はコンストラクターなのでレース活動は二義的。だからルマンのレース活動を外部に委託することが多いのですが、あまりに金銭トラブルが多いので、もう止めますという宣言。 - 31 May 2010 「iPadほしい~!ってか?」 ―社会評論―
現代の日本人の日本の技術に対するプライドの喪失についての嘆きと将来への不安を訴えています。 - 11 May 2010 「スポーツ亡国論」 ―社会評論―
スポーツで遊ぶことを否定するつもりはありませんが、科学者や技術者など、真摯に文明の進歩に努力を続けている人たちを尻目に、ボールを蹴るだけの人生を嘆いています。もっとも炎上したコラムです。 - 05 Apr. 2010 「遥かなるルマン」 ―ルマンの迷惑な人たち―
童夢のルマン挑戦の資金面での裏話と、レースチームとの度重なる金銭トラブルの実態と、ルマンへの情熱が冷めていくプロセスを語っています。 - 09 Dec. 2009 拝啓、「AUTO SPORT」様 総集編 ―口げんか―
入門用F4の発展振興を図る我々に対して、「AUTOSPORT」のサイトに批判的な記事が掲載されたので、反論したらまた反論されたので反論したらまた反論された記録。 - 04 Aug. 2009 「クルマとモータースポーツの明日」 - TOYOTA GAZOO RACING―レース界評論―
GAZOO RACINGからの依頼で書き下ろした4編からなるコラム。一字一句修正禁止を条件に引き受けましたが、約束はきっちりと守られています。 - 06 May 2009 「X JAPANの夜」 ―ESSAY―
GTチームのパートナーだったYOSHIKI(X JAPAN)のコンサート見聞録。 - 18 Feb. 2009 「無限に起こった数奇な出来事」 ―JAF問題―
天下りと利権の温床となっていたJAFの問題が国会でも取り上げられていた頃、JAFがASNを良からぬ団体に投げ出すという噂を聞き、レース界の重鎮が集まって反対運動を旗揚げしようとしていたところ、ある出来事から頓挫してしまいましたが、その後、「無限」に問題が発生して本田博俊氏が投獄されるという飛んでも無い事件が発生します。この二つの出来事に関係があったのか無かったのか? - 01 Jan. 2008 「2ちゃんと語ろう、今年のルマン。」 ―不明を正す―
誹謗中傷が身上の2ちゃんねるですが、その内容があまりに非現実的だとリアリティが希薄になりすぎて面白くないから、ちょっと間違いを正してあげました。 - 17 Mar. 2008 「今日、S-GTは自動車レースを捨てた。」 ―レース界裏話―
あまり頭の良くない人が多方面に気を遣いすぎて作ったレギュレーションの何と難解な事か!解説しようにも自分自身が理解できません。 - 08 Apr. 2008 「走った !!」」
遅れに遅れつつも、やっと完成した「童夢S102」のどたばたシェイクダウン・レポート。これを書いた時は、まだトヨタとのタイアップは機密だったので嘘ばっかり書いていますから、修正しておきます。 - 2007~2008 「浮いては消えた幻のジャパン・ルマン」 ―日本のルマンが消えた日―
2006年に泡沫のような「ジャパン・ルマン」が開催されたが2年で崩壊してしまいました。崩壊を予知していた私は、何とか継続したいと動いていたし、ACOも継続を望んでいたのに、二段飛ばしくらいのボタンの掛け違いが続いて実現には至りませんでした。裏で、こんな話が動いていたという暴露記事です。 - 04 Sep. 2007 「新GTA誕生秘話」 ―レース界裏話―
JGTC再建案を検討している内に、なんとか動き出したGTAには既にいろいろなしがらみや利権などがまとわりついていたようで、あえなく改革はとん挫しました。 - 04 Sep.2007 「そろそろ自動車レースを始めましょう!」 ―自動車レース論―
GTAの崩壊を防ぐために立ち上がった有志からの依頼で立案した再建案の礎となる理念を示した文書であり、日本の自動車レースの抜本的な改革案ですが、しがらみや利権の前には念仏のようなものでした。 - 29 Jun. 2007 「それにしてもNにはイラつく」 ―悪口―
携帯電話のNの機種ごとの操作が異なることに強く憤っているだけの不平不満。「携帯電話の話を装っているが、Nというのはあのドライバーのことだ」という噂は真実ではありません。 - 23 Oct. 2006 「海原に鳴りやまぬチームからの電話」 ―JAF批判―
釣行の途中にかかってきた電話はレース中のチームから。頻発する不公平なペナルティ運用を憂う。 - 09 Oct. 2006 「鈴木亜久里は友達じゃない。」 ―ESSAY―
船橋サーキットのあった時代、東京での私の親分筋は鈴木亜久里の親父であるジャッキーでしたが、なんと35年ぶりに鈴鹿で再会。 たちまち二人の周囲だけクラブマンレースのパドックにワープして古い仲間の話題に花が咲きました。 - 14 Sep. 2006 「JAFのさいてい」 ―JAF批判―
JAFという不必要悪の軽佻浮薄な裁判所気取りがもたらす自動車レースの品格を貶める裁定と称するおせっかいを批判する。 - 23 Aug. 2006 「失速と神業の違いが解りますか?」 ―レース界評論―
自動車メーカー各社のマシンを公平に勝たせるための複雑すぎる仕組みは観客にとっても難解過ぎて、これではもうレースとは言えません。 - 08 May 2006 「大串 信さんの記事(Racing On)を読みながら、ふとつぶやいたこと」 ―クレーマー―
違和感あふれる大串君の童夢に関する記事に赤ペンを入れてみました。大串君はかなり良く理解してくれている方だと思っていたのですが、やはり日本のレース界の人でした。 - 12 Apr. 2005 「地獄の免許取得体験記」 ―強い憤り―
事情があって日本の免許を取得することになりましたが、そこに拡がるおぞましいばかりの集金システムの実態とむらがる公務員と天下り。 - 19 Mar. 2004 「脳が壊れました」 ―闘病記―
脳梗塞闘病記。とは言っても、どちらに寝返っても観られるように、病室にTVを3台とパソコン2台を持ち込んで顰蹙を買っていたはみ出し患者でした。 - 18 Feb. 2004 「日本モータースポーツ小論」 ―自動車レース論―
単なる批判に収まらず、日本の自動車レースの根本的な問題点から掘り起し、その原因と理由を分析。そこから解決策を見出そうと試みましたが、いつもの通りの単なる遠吠え。 - 18 Jun. 2003 「TV朝日の皆様ご苦労様でした」 ―ルマン話―
日本人ドライバーにのみ焦点を絞った偏向的なレポートはあまりにも真実とかい離していて大変に迷惑していたから、止めてくれてありがとう。 - 20 Jun. 2002 「24時間目、疲労と感動の方程式」 ―ルマン話―
- 19 Apr. 2002 「FNの未来への提言」 ―自動車レース論―
レイナードの倒産によりFNの先行きがあやふやになってきたので、この際だから、理念とビジョンを明確にして希望の持てる将来像を描こうという提案ですが、現実は予想外の方向へ。 - 28 Feb. 2005 「2003〜5年 NSX-GTまとめ」 ―NSXレース秘話―
この頃、何本かNSX-GTの開発秘話とレースの話題を書いていましたが、重複する部分が多いのでまとめておきました。HONDAのワークスはワークスなりの悩みも苦労もあるんだよ。 - 21 Nov. 2003 「いっそ見世物にしたら」 ―レース話―
JGTC最終戦でNISSANがシケインを突っ切っても追突してもお咎めなしでしたが、過去に童夢はきっちりとペナルティを課せられていますからチームは激怒、コントロールタワーは先送り、JAFは高圧的に振舞うだけ、このレースの目的はGTRを勝たせる事だけでした。 - 28 Feb. 2005 「何のための究極のNSX?」 ―レース話―
SGTCの永遠のテーマか? 五月雨的なレギュレーション変更と熾烈な開発競争が矛盾していて、SGTCに関わる全ての人の頭がおかしくなっているのではないかと心配になります。マジなんだろうか? - 21 Nov. 2000 「マクランサの秘密(1966の出来事)」 ―FRPモノコックだった―
「マクランサ」のエンジンが無様に飛び出ているのは、涙なしには語れない悲しい出来事が原因でした。
この時、二十歳の青年の夢がかなっていたら「マクランサ」はきっと歴史に刻まれる名車になっていたはずです。 - 13 Sep. 2011 「愚かなり、Formula Challenge Japan(FCJ)」 ―また外国製―
実は私、このFCJの最初から最後まで密接に絡んでいるのですが、FNとFCJを主宰するJRPからは完全に無視されていました。しかし、私の提案の方向に動くものの肝心の部分で道を誤り、予想通りにお手上げとなりました。グタグタです。 - 15 Nov. 1985 「梯子を外されたルマン」 ―悪夢―
TOM’Sの舘と協力して、1985年、やっとトヨタをルマンに導きましたが、童夢は1986年でお払い箱になってしまいました。エンジンを始め、いろんなものを失っていましたから、もう、プライベートとして復帰する事は無理だったので、已む無くフォーミュラの世界に足を踏み入れることになります。