COLUMN / ESSAY

「新GTA誕生秘話」 -レース界裏話-

先ごろ、レース界のお歴々を招集して、日本モーターレーシング協会(仮称)のようなものを創立し、日本の自動車レースを根本的に改革しませんかとお誘いしました。
順序立てて説明すると、昨年末にかけて、GTAの崩壊が現実味を増しつつある時期、その先行きを危惧した舘や坂東たちから、善良な解決策について相談を受けましたが、その主たるテーマはGTAの再生でした。 しかし私は、例えGTAが元通りになったとしても、このままでは日本の自動車レースの将来に希望が見えないから、この際、GTAの再構築を成し遂げることと並行して、日本の自動車レースを、より発展振興させる方向に改革しようではないかと提案しました。その時に基本理念として提示したのが 4 Sep. 2007「そろそろ自動車レースを始めましょう!」 ―自動車レース論― です。

両名の同意を得て、革命の具体化について活動を開始することに決定しましたが、その後、かなり頻繁に協議を重ねていた頃、何となく舘や坂東との連絡が途切れるような状況が続き、しばらく成り行きを観察せざるを得ないような時間が過ぎて行きました。当時はSGTCの次年度の開幕が危ぶまれるほどの危急存亡の秋でしたから、それどころでは無いのかなと思いつつも、私も私なりに真剣に取り組んでいましたので、かなり肩透かしな気分になっていました。
坂東達GTEの努力により、年が明けて、とりあえずの開幕戦を無事に開催するところまで漕ぎつけ、また、第2戦も第3戦も無事に終った頃、突然に舘から連絡があり「改革を急ごう」と言い出しました。
改革を目指す協議が再開されましたが、しかし、すぐに坂東は現れなくなり、何とは無しのぎくしゃくした感じが不可解でしたから、私は何度も舘に、この改革の礎となるGTAの掌握はできているのかと確認しましたが、いつも曖昧な答えしか返ってこなかったので、何とは無しの不安感を抱くようになっていました。
しかし基本的に、この改革がGTAを掌握してしか成り立たない話であることは周知徹底していると理解していましたし、その基本路線に則っての「改革を急ごう」だと理解していましたので、不安をかかえつつも、昨年に舘や坂東たちと相談しながら書いた改革の提案書を関係各位に配布しながら、賛同いただける発起人の輪を広げていきました。
その後も舘とは何回かミーティングを重ねつつ、発起人として名前を連ねていただける方も30名を超えるようになったので、7月23日、皆様にお集まりいただいて、舘を会長とする新GTAの発足を宣言し、それに伴う改革の主旨や理念を説明する第一回の決起集会のようなものを開催しました。

ここからはライブ中継に切り替えますが、壇上で私が開会のあいさつをして、まず「舘を会長として新GTAを立ち上げる」 という発表をしている最中、突然に舘が「会長は林しかいないよ」などと言い出すものですから、私は「ふざけるな」と怒りましたが、その混乱のタイミングに、坂東は横に控える新たなるパートナーに促されて「GTAは今のままの体制でやっていきます」と言い出したものだから、MCを兼ねていた私も、この場を取り繕う事も忘れて怒ってしまい、よく覚えていませんが「そういう事らしいです」とマイクを置いて帰ってしまったと思います。ご迷惑をおかけしたのは、せっかく集まっていただいた30名あまりのレース界の重鎮の皆様であり、何とも訳の解らない醜態を演じてしまい大変に申し訳なく思っています。

大の大人のやる事ではありませんし恥ずかしい限りの失態でしたが、ご存じのように、現在は坂東が社長のGTAがレース界に君臨していますから、後になって事情を知るにつけ、この不可解な出来事の実態が解ってきました。
日本のレース界は、いくら立派な理念やビジョンであっても、それだけで何かが動きだすというほど知的な世界ではありませんから、改革を断行する場合、日本で唯一盛況を誇るSGTCの力を利用してしか実現する可能性はありません。すなわち、GTAには力がある訳です。
昨年の来期の開催が危ぶまれる危急存亡の秋の藁をも掴む雰囲気の時から、GTEを中心に何とか開催に漕ぎつけた開幕戦に続き、2戦3戦とスムーズに開催出来た自信によるものでしょうか?その間にGTAをとりまく人たちの間には、ある種の利権構造やポジションが生じてきていたようです。

推測も交えて説明しますが、当たらずとも遠からずと言うところでしょう。どうやら、この端境期を乗り切った坂東は運営に自信を持ったようだし、十分な利益が得られることも解ったし、GTAトップの居心地も格別だし、何より、それまでGTAに絡んでいた人たちが坂東を担いで自らのポジションの確保に走ったのでしょう。
私の知らない間に、同志だった舘と坂東の間で綱引き状態になっていたようで、その間に、坂東はどんどんとGTA内を固め、結果、舘はどんどんと枠外に押し出されていき、それが、あの不可解なアイドリングタイムとなっていました。
坂東は、大きなメリットの前に大先輩の舘の排除を試み、舘は、一発逆転を狙って私に改革を急ごうと言って発表を急がせ、何も知らない私がお歴々を集めて新GTAの発足式を開催してしまったという訳です。

私は怒って帰ってしまいましたが、もちろん、その場で坂東の突然の翻意を糾弾することも出来ましたし、それまでの経緯から、クーデターでありGTAの私物化であることを追及する事も出来たのに、あえて放置したのは、已む無しと感じていたからです。
1年半前にGTAの不穏な動きが表面化していた頃、自動車メーカーの担当者や一部のレース関係者に内部調査をしてもらいましたが、多額の借金や不明朗な金の流れが露見しながらもそのまま放置したり、その後も、この問題がレース界で公然と噂される状況になって、GTAが金持ちチームに借金を頼んだり、良からぬ相手先に身売りの話を持ち掛けたり、借金が膨れ上がっている事が明らかになってきても、崩壊に至るまで、誰一人として立ち上がる者もいなかったレース界の中で、危機意識を持って具体的に動いていたのは舘と坂東だけでしたし、GTEをベースに実際にSGTCの存続に注力していたのは坂東だけですから、私は無駄に踊らされて恥をかかされて楽しくも嬉しくもありませんが、正直、ここで坂東を引きずり下ろす気にはならなかったのは確かです。
現在までSGTCは続いていますから、結果、オーライとも言えますが、日本の自動車レースの改革のチャンスを失って単にSGTCが続いているだけとも言えますから、まあ、日本のレース界にとって良かったのか悪かったのか知りませんが、とにかく私としては、その日にお集まりいただいた30名のレース界の重鎮の方々にお詫びするしかありません。

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