私は「記録」には拘ってきましたから、なけなしの予算で繰り出したジュネーブ・ショーにまで16mm2カメの撮影隊を送り込んでいます。その後のレース貧困時代には手薄になった時期もあるものの、断片的には、かなりの映像が記録されています。また、多くの取材も受けていますし、童夢のプロモーションVTRも多数制作しています。それやこれやを並べると想像以上のボリュームになりますし、今となっては著作権の所在も分からないものも多く、取捨選択が難しいのですが、ここでは、残された山ほどの映像の中から、主だったものを紹介します。
■「カラス デビューレース」(1965)
「「カラス」のデビュー・ウィンの記録は2つあります。一つは浮谷東次郎のお父さんが8mmカメラで撮影したもの。もう一つが、当時のニュース映像です。著作権も切れていると思いますので、ここでは、ニュース映像をご覧いただきます。全ての出発点でした。
■「第48回ジュネーブ・ショー」(1978)
この私が制作した記録フイルムは、未編修で無音で無駄なシーンが続いていますが、下段の「ROSSO Dome Zero Movie」(2013)では素晴らしいナレーションとBGMを挿入してくれていますから、そちらをご覧ください。
■ TBS「日曜特番」(1979)
TBS映画社の並木さん等の肝いりで番組制作が決定しましたが、マシン開発中からの取材や空輸シーンからフランスでの輸送シーンなど、ドラマチックに盛り上がっていく中、レースでは4時間ほどでリタイアしてしまい、尺が足りないと焦るスタッフの求めを断り切れずに、次年度に向けて闘志をむき出しにするシーンとか撮りました。主題歌はTINNAの「童夢」です。
■「CASPITA」(1994)
1992年に開発した「CASPITA」ですが、その後、日本のナンバーを取得後、主に公道を走行するシーンを中心に日本コロンビアによって制作されたレーザー・ディスクです。ドライバーは中谷明彦君に頼んでいます。
■「ROSSO Dome Zero Movie」(2013)
音も色も無い「ジュネーブ・ショー」のフイルムを「ROSSO」を発行する(株)ネコ・パブリッシングが素晴らしいナレーションとBGMを挿入して制作してくれたDVDです。キャッチ・コピーに「誕生当時の秘蔵映像で振り返る」とあるように、開発シーンやテスト走行シーンなどの貴重な映像が収められています。
<本編は1'22"からです。>
■「Ocean Fry」
宅配で運べるボートを作ろうと思い立ち試作をしていたら、かなり理想に近い舟が出来たので、市販してやろうと思い立ち沖縄まで行ってPR用のムービーを制作しました。しかし、同サイズのボートが平均2~30万円のところ、Ocean Fryは製造原価だけでも200万円を超えていましたから断念、お蔵入りとなっています。
■「童夢 TVCM」
1993年ごろにテレビ局からCMに協力してほしいとの依頼がありましたが、もとよりTVCMとは無縁の会社、怪訝な顔をする私に「いろいろな都合でTVCMは急に落ちることが多いので、穴埋め用のCMを用意しておく必要がある」との事。つまり、違和感なく絵面の良い会社で絶対にTVCMを出しそうにない会社を探していたとのことで、それ以来、タダで童夢のCMが流れ続けることになりました。しかし、阪神大震災の時は多くの企業がCMを止めたので、朝から晩まで童夢のCMが流れ続け、さすがに恥ずかしい思いをしたものです。ほとんど制作費ゼロで作っています。
CM4はCGを駆使して製作していますが、最後のシーンは、私が夜毎に徘徊している祇園のコースを爆走しつつ夜の闇に消えていくイメージを映像化しています。赤いのは八坂神社です。まあ、どうでも良い話ですが。
■「童夢PROMOTION VIDEO」(2006)
最初がいつだったのかは定かではありませんが、自動車メーカーや海外のクライアントへの説明用にPROMOTION VIDEOを作り出し、延々とリニューアルを繰り返してきました。
中身はあまり変わりませんので、ここでは、代表的な作品だけを披露しておきます。
■「童夢PROMOTION VIDEO (ENG)」(2006)
English edition.
■「童夢PV Malaysia version (JPN)」(2012)
2012年のマレーシァでのGTレースの際に、JMIAのF4を売り込もうと展示ブースを設営して汗まみれになりながらPRをしていましたが、そのブースで流すためにPVを制作しました。いつもは自分で編集したりもするのですが、この時は、少し力が入っていたので、レース映像では超一流の「Y2」にお願いしたら、ついでだからと、ちょっと長編のPVも作ってくれました。何回もポーズをとらされましたが、カッコよく仕上がっています。
■「童夢の終わりと始まり」(2015)
2015年7月に私が童夢を引退する時に開催したパーティ「童夢の終わりと始まり」の際に上映したVTRです。1978年の最初のルマン挑戦の年、友達の大坪さんの会社の若手プロデューサー(当時)の山田百合子さんが撮影に来てくれましたが、それから延々とお付き合いが続き、童夢に関しても様々な撮影をしてもらっています。このVTRは、現在、百合さんが社長を務める「Y2」で制作していただきました。なお、楽曲は甥っ子の林ゆうきが手掛けています。
■「“ゆめ”を“かたち”に」(2016)
2016年10月8日から、名古屋の「auto galleria LUCE(アウト ガレリア “ルーチェ”)」で、いわば「林みのる展」とも言うべきイベントが開催されました。これは、その会場で流されていたVTRですが、なんと、オーナーで主催者の平松正光氏が、取材からドローンの撮影から編集まで1人で制作された力作です。童夢のライブラリーに無い映像が沢山出てきます。