童夢の足跡については、兎にも角にも、日本の自動車誌の著名ライターを蛸部屋に閉じ込めて制作した「童夢の奇跡」に全てが詰め込まれていますから、是非、ご覧になっていただきたいと思います。
童夢創業以前については「童夢へ(林みのる著)」に書いていますし、映画館の「童夢の終わりと始まり」は2015年7月に私が引退する時のパーティで上映したVTRで、20分で童夢の歴史を紹介しています。
私は、この四半世紀にわたって「技術力と産業を育てなければ日本の自動車レースは発展しない」と言い続けてきましたし、実際に、時間もエネルギーも金も投入して様々な行動も起こしてきましたが、日本のレース界は全く聞く耳を持たず、何も変わらないまま安定と言う停滞を続けています。基本的な理念に関しては「日本自動車レース工業会」(2008)―JMIAのご案内―の冒頭を読んで頂けば解りますが、これはまだまだ希望を持っていた時代のものです。
もう少し苛立って書いたのが「日本の自動車レースと技術立国日本の関係」―日本のレースとメーカー批判―です。そして、ついに諦めて提言したのが「日本の自動車レースにおける産業革命論」 ―終焉における鎖国論―です。その他にも、とにかく改善策を訴え続けていますが馬の耳に念仏でした。
そして実は、私が最も訴えたかったのは私の老後を暗転させてしまった奇妙奇天烈な事件の真実です。前妻との離婚に際し10億円を越える資産を収奪されてしまいますが、前妻がワコール創業家の娘であったために、乗り出してきたワコール弁護士団に袋叩きにあって敗退してしまいます。その結果、そもそも私が「童夢カーボン・マジック」を東レに譲渡した理由であり、日本のレース界の希望となり得た気宇壮大な計画である「童夢と林みのるの最後の夢」が頓挫してしまいます。
許し難きは、裁判において、前妻とワコール弁護士団による100%嘘で固められた絵空事が認められてしまい、私が前妻から多額の借金をしていたのに返済していなかったから株を贈与していたとして敗訴してしまいました。この身に覚えのない、全く証拠も無い嘘によって、私はいたく名誉を傷つけられていますから、濡れ衣を晴らすまで、これからも真実を訴え続けていかなくてはなりません。その為に、証拠に裏付けされた真実の記録として「ブラジャーVSレーシングカー 2」を出版(準備中)しますが、何しろ前妻の嘘が多すぎてかなりの長文になってしまい誰も読んでくれないと思いますので、20分で読める「ブラジャーVSレーシングカー 2 -digest-」を制作しました。信じられないほど奇天烈な話ですが、読んで頂けば真実が見えてくると思いますので、是非、お眼通しをお願いします。
その他の見どころとしては、私のレースヒストリーのスタートとなった「カラス」のデビューレースのニュース映像「カラス デビューレース」や、「童夢-零」のデビューとなったジュネーブ・ショーの模様やテスト風景などをまとめた「ROSSO Dome Zero Movie」や、1979年のルマン初挑戦を取材してくれたTBS「日曜特番」の映像や、東芝EMIが制作してくれた「童夢」(TINNA)というレコードや、avex が制作してくれたDOME RACING TEAM等の楽曲をお楽しみください。
他のコーナーは、暇にあかせてぶらぶらと散歩して頂きたいと思いますが、懐かしい写真や話がたくさん出てきますからお楽しみに。