国産レーシングカーの可能性とレーシングカーの安全性について一言 ―レース界事情―
2015年にリタイアしてからはクラシックカーのイベント以外にサーキットに行ったことがないからレース界とは疎遠になってしまったが、これほどすっぱりと縁が切れてしまうとは思っていなかったので、正直、ちょっと肩透かし的な気分でもある。
だから現場でのリアルな情報に触れることはないものの、そんな隠居老人の私にも、断片的にではあるが、いろいろな話が聞こえてくる。
そのほとんどが日本のレーシングカー開発技術の先行きに対する不安だが、日本で唯一、本格的なレーシングカーを開発できる童夢が機能停止したままだから、気持ちは解るものの、最早、私に出来ることは何もない。
今後もレーシングカーの開発を続けることを前提条件に譲渡したにも関わらず、手のひらを返したように全く何も動こうとしない童夢が何を目指しているのかは謎だが、レーシングカーを開発しない限り、カーボン・パーツで儲けようがレストラン・チェーンで当てようが関係ないし、スーパー・モデルの娘を嫁にやったら嫁ぎ先の食堂でお運びさんをやらされているような気分だ。
もし、努力中だと言うのなら絵空事だ。童夢を譲渡した2015年に新たなレーシングカー・コンストラクターを創業していたとしても、そろそろ成功していてもおかしくないほどの時間が経っているのだから、成功とか失敗とか以前に、何も見えていないのか違う方向を見ているのか知らないが、いずれにしても、もうそこにはレーシングカー・コンストラクターとしての童夢の面影すらない。
そのあたりの経緯はamazonから近日出版予定の「童夢から」に書いている。
いくら言っても動こうとしない童夢に愛想をつかしていた頃、レーシングカー・コンストラクターの先行きを危惧した東レ・カーボンマジック(TCM)の奥が立ち上がった。
もともと奥は私の時代の童夢の技術面での原動力だったし、童夢を見限って流出していた技術者の一部も奥のもとに流れていたから一筋の光明は見えたものの、東レの大看板の元でレーシングカーという冒険的な製品を開発することは簡単な話では無いと思えたし、わが国でレーシングカーを作ると言っても誰も発注してくれないから、レーシングカーを作るという状況から作り出さなくてはならず、それには開発技術以外のスキルが必要であり、簡単な話ではない。
しかし奥は、独特のブルドーダーのような着実な一歩ずつを積み重ねて、その後、入門フォーミュラではあるが2機種をリリースして新たなるレーシングカー・コンストラクターが誕生することとなった。
私が創業した会社で私の片腕だった奥がレーシングカー・コンストラクターを引き継いでくれたのだから、これに勝る喜びはない。
そんな時に聞こえてきたのが「JMIA NEXT FORMULA」、つまり次期スーパー・フォーミュラの開発計画だ。
本来ならばTCMの独自プロジェクトとして進めればシンプルなのだが、それには開発費もかかれば技術者の工数も割かねばならないというリスクを背負いこむ必要があるから、奥は、「みんなでやりましょう」と日本自動車レース工業会(JMIA)を巻き込んでリスクの分散を図ったのだろう。知らんけど。
(あるのか無いのか知らないが)そういう戦略はさておき、JMIAのみんなで考えて発表された数機種のイラストは凡庸だった。
そもそもF1はコンストラクターの戦いだからコンストラクターにとってシャシーの開発は生命線となるが、スーパー・フォーミュラはワンメイクだからシャシーの戦いは無いし、フォーミュラ・リブレだから何のレギュレーションに縛られる必要もないのだから、いわば、自由自在に先進的なレーシングカーを創造することが出来る貴重なチャンスだ。当然、F-1よりもINDYよりも先を行くフォーミュラの未来を提案すべきなのに、これではまるで「初秋の小雨降る夕暮れ」というお題で俳句を詠むようなもので、自由律で良いし、そもそも、私はフォーミュラである必要すらないと思っている。
よく、「F1へのステップボードたりえるカテゴリーだからF1もどきでないと意味がない」という声を聴くが、本気でF1を目指すならF3からヨーロッパで走っていないと語学力からして太刀打ちできないのだから、もとより絵空事だ。
私はフォーミュラでなくても良いと思っているが、そこまで遡ると話も始まらなくなるから、フォーミュラを前提に話を進めよう。
今、日本独自のスーパー・フォーミュラが何を目指すべきかと言えば安全性の追求に尽きる。私は、フォーミュラの安全性向上に関して、もう20年以上前から言い続けてきたから、またぞろ口に出すのも気恥しいくらいだが、いくら言ってもこだまも返ってこないから、声が届いていないのだろうと思って繰り返すことになる。
それらの私の発言は当ホームページのCOLUMN/ESSAYの10 Dec. 2019「フォーミュラ・レースの裏と影と闇」や20 Apr. 2022「絶対に死なないレーシングカー」開発プロジェクトなどを参照していただくとして、私が20数年間言い続けて20数年間無視されてきたのに、近年、FIAがHALOを導入したとたんに日本のレース界は手のひらを返し180度向きを変えてHALOの付いていないレーシングカーは危険と言い出し、本来、装着の義務のない「SUPER FORMURA LIGHT(SFL)」にまで装着を義務付けた。
おかげて、またぞろ外国車を買わされることになるが、そもそもFIAが3年くらいでレギュレーションを変えるのはコンストラクターとグルになってレーシングカーを売るための仕組みだが、それで産業構造を確立しているヨーロッパにとっては必要な事でも、その経済圏の外で買わされる一方の日本はタダの鴨だ。
去年までHALOの付いていないフォーミュラに乗るドライバーに「がんばれよ」と煽っていた人たちが、翌年には「HALOの付いていないフォーミュラには乗せられない」と言い出すのだから、見事なまでの付和雷同、盲従、唯々諾々ぶりは気恥しいくらいだし、正にネギを背負った鴨だ。
このようにバカにすると「少しでも改善されるのだから受け入れるべき」と反論してくるから、それなら指図される前にやれと言いたいし、まだまだやるべきことは山ほどあるのに、そこには絶対に言及しないのだから、鴨どころかブロイラーだ。日本と言う国もレース界も「外国に要求されない限り動かない」点では共通しているようだ。
タイミングとしても、ここ数年、INDYもフォーミュラ-eもF1よりも遥かに進んだ安全対策を盛り込んだ車作りをしているから、旧態依然たるF1は急速に陳腐化していくかもしれないし、またはドラスチックな改革を断行するかもしれないが、そんな時、又もや改革したF1を真似てF1もどきを追いかけるのは何とも恥ずかしいから、ここは、F1を始めとする全てのフォーミュラが真似をするくらいの先進的な未来のフォーミュラを提案していただきたいものだ。
もうひとつ、何故かはびこる宿痾のような舶来崇拝は何とかならないのか? 先日のFIA-F4のオープニング・レースで大量のエンジントラブルが発生して、ホンダとトヨタが「安全性」を理由にレースをボイコットした。この安物の正義を振りかざすような愚かな行為については別の機会で文句を言いたいと思うが、それはさておき、その時に多方面から聞こえてきたのが「これなら外国製の方が良い」とか「国産は未成熟」などという短絡的な文句だ。
F1のシャシーやル・マンカーならいざ知らず、ワンメイクのフォーミュラのシャシーなど難しい要素は何もないし、今更、国産も外国製も大差はないが、カーボン・モノコックを始めとする全ての部品に関して国産が外国製に劣っているところなど何もないし、逆に品質は日本製の方がはるかに優れている。
(今回は、たまたまエンジンに予期せぬトラブルが発生したが)どう考えてもエンジンは日本製の方が高品質だから、何を根拠に「外国製の方が良い」と言ってるのか理解できないが、では、無節操に外国製を買い続けていたらどうなるか想像がつかないのか?
日本のレース界は自動車メーカーから下賜たまわる金員のみで回っているから、この予算の範囲内で発展も衰退もしないまま安定的に続いている。しかし、推測ではあるが、この自動車メーカーのレース予算の95%は海外に流出(F1やル・マンやWRCなど)していると言われており、日本のレース界は、その余りの5%にしがみついて糊口をしのいでいる訳だ。
愛人だとしても10番目くらいの存在感だが、そのレース界自身が、自動車レース産業をないがしろにして外国に金を流すことに執心して、その5%の中から、さらに海外に貢ぎ続けているのだから自殺行為に等しいという事が解らないのだろうか?
ニトリやユニクロの中国製品はバカ売れしているし、ビッグカメラで何を買っても中国製だし、docomoでHoawel(ファーウェイ)が売られていたし(現在は止まっているようだが)、今でも美人女優が「BYDあるかも」とCMしているから、特にレース界だけが愛国心に欠けるとは言わないが、結果、日本人が尖閣に上陸することもかなわず、呉江浩駐日大使が「日本の民衆が火の中に連れ込まれることになる」と脅しても、「遺憾」「遺憾」と口ごもるしかなく、日本が貢ぎ続けた金と技術が強大な軍事力となって日本が蹂躙される日が来た時、やっと後悔することになるのだろう。
日本のレース界が、海外に資金を流出させて海外のコンストラクターに資金と経験を与えて技術力を向上させてやって設備を充実させてやった結果、その技術力にすがって鴨になり下がる構図と重なるが、その結果、FIAのレギュレーションに頼り外国製のレーシングカーを輸入するだけのアジア諸国と肩を並べるところまで落ちぶれることになり、1963年に第1回日本グランプリを開催した60年の歴史は元の木阿弥になるだろう。
それでも日本のレース界は、自動車メーカーというパパ活のパパさんのようなスポンサーがいるから安心していられるのかと言えば、そもそもの日本国のパパは、カツアゲの得意な半グレと敏腕セールスマンと火の気のない所を火事にする放火魔のようなアメリカだから、レース界よりも日本国の方がもっとヤバいだろう。このまま日本の国力がますます低下していけば、まず淘汰されていくのが非生産的な分野だから、まあ、レース界は真っ先にリストラ対象になって猿山も吹っ飛ぶだろう。
しかし、日本の国力低下は日本だけの問題だから海外では自動車レースが続いているだろうから、もし、レーシングカーの開発技術と産業が育っていれば、猿山が吹っ飛んだとしても日本の技術と工業力を輸出することが出来るだろうが、もう後の祭りだ。
レーシングカーの開発技術も産業力も無視して、ひたすら外国の企業に貢ぎ続け、全く生産性を持たない日本の自動車レースのなれの果てを見ながら留飲を下げたいが、まあ、私が生きているうちは安泰そうなので、残念ながら鬱憤は晴れそうにない。
いやいや、もう言い飽きているし、猿に人の道を説き続けて疲れ果てたからリタイアしたのだから、このくらいにしておこう。
言い飽きた文句はほどほどにして、私が開発してほしい「JMIA NEXT FORMULA」はこんなマシンだ。
- モノコックの幅が300mmくらい広く、中にはクラッシャブル・ストラクチャーが装備されている。
- コックピットを頑丈なロールバーが覆っている。
- シートも緩衝材でフローティング・マウントされている。
- フロントスクリーン装備。
- サイドポンツーンにも強度を持たせる。
- 4輪ともカバーする。
- リアにもバンパー装備。
- イラストには反映されていないが、アッパーアームの極端に短いサスペンションを開発してモノコック前端の幅を広げ対衝突強度を高める。
- 幅の広いリアビュー・モニター。
- 雨でも強行されるレースもあるから、ADAS技術を応用してウオーター・シャワーの向こう側をレーダーで視覚的に検知できるディスプレーの装備。
- 360度カメラを装備してルール/マナー違反を明確にジャッジする。
- その他、安全性を高めるあらゆる装備。
なんだ、こんな事かと思われるかもしれないが、フォーミュラを前提とするならば、こんなところが限界だろう。
レーシングカーの性能向上のためには風洞が必要だが、安全性の向上には衝突実験設備が必要なものの使える設備が無いので、現役時代、TAKATAの使っていない古い衝突実験設備を借りてレーシングカー用にリニューアルする計画を進めていたが諸般の事情で実現しなかった。リタイア後も「絶対に死なないレーシングカー」というプロジェクトを立ち上げて新しいクラッシャブル・ストラクチャーの開発などに挑戦していたが頓挫した。この件も当ホームページのCOLUMN/ESSAYの20 Apr. 2022「絶対に死なないレーシングカー」開発プロジェクトに掲載している。
まあ、全て失敗に終わっているが、原因は、金がかかる割には誰も求めていないから何をするにもブレーキしかかからず止まってしまうからだが、しかし、本格的に安全性の向上を目指すならば、それなりの設備も投資も実験も開発も必要なのに、現状、そんな環境はどこにも無く、思い付きしか語れないから、まあ、この程度でご容赦いただきたい。
このように、長年にわたってレーシングカーの安全性の向上と開発技術の必要性を説いてきたが、そもそもの問題として、日本にはレーシングカー・コンストラクター自体が存続できる環境がない。絶えず開発を続けていないと技術力も維持できないし、一定の仕事量が確保できないと設備も整わないし、開発/生産に必要なインフラも育たないのだから、事業としての継続性が必然であり、急にチャンスが訪れたとしても一朝一夕でどうなるものでもない。
どうなるものでもないが、どうにかしないと絶滅するだけだから奥も立ち上がらざるを得なかったのだと思うが、未だにスーパー・フォーミュラがダラーラであることからも解るように、国産FR(国産とは言い難いところはあるが)を押しのけてSFLをでっち上げてダラーラを採用していることからも解るように、今現在においても、日本のレース界は日本の技術をないがしろにして海外に貢ぎ続けることが常態化しているし、そこには単なる舶来崇拝の人たちも大勢いるから、やっとスーパー・フォーミュラの国産化が実現したとしても、当然、日本のレース界は重箱の隅を突くようなクレーマーに豹変するのは火を見るよりも明らかだ。
子細な不都合を針小棒大に騒ぎ立てて、ここぞとばかり「ダラーラにしておけば良かった」という売国奴の意見で炎上するのが眼に見えるから気が重いが、レーシングカーを開発できない国の自動車レースには未来が無いから頑張ってもらうしかない。
舶来尊重の逆風下、何とか立ち上がってくれた東レ・カーボンマジックの成功を祈るばかりだが、日本のレース界は、敵に塩も砂糖も送り続けて、出る杭を打ってばかりいないで、一刻も早く、自らの発展振興の最大の糧となるレーシングカーの開発技術の大切さに気付き、運命共同体だという事を理解すべきだ。いや、救世主だということに気付くべきだ。