COLUMN / ESSAY

「Graduation from Le Mans」 ―ルマンの話題―

思えば1979年の初参戦以来、何と、もう31年の年月が過ぎ去りました。童夢の黎明期においては、それこそルマンが全てと言っても過言ではない狂乱の時代でしたが、その情熱が会社を支え技術を育み仕事を呼び込んでくれていたのも事実でした。
常に資金不足が付き纏い満足のいく戦いが出来たとは言えませんが、私自身としては、自費でオリジナルマシンを開発してルマンに挑戦するプライベーターという立場から鑑みるに、こんなところが妥当だと納得していますし、何よりも、この16回に及ぶルマンへの挑戦が、明らかに童夢の血となり肉となり骨格を形成する原動力となってきたことは間違いありません。

今、思い起こしても、金の苦労以外は全て楽しい思い出ばかりで、本当に心から「ルマンよありがとう!」と叫びたい気持ちですが、そろそろ卒業の時が来たようです。

基本的に、童夢はコンストラクターでありレーシング・チームではありませんから、自身でのレース参加には強いこだわりが無いことと、あるだけの資金をマシンの開発に投入してしまうので、通常、マシンが完成するころにはレース予算までは残っていません。
だから、大半のケースにおいて、自費で開発したオリジナルマシンを無償貸与や資金援助をするなどの形で、チームにレース活動を委託する方法でルマンに参加してきました。

しかし、今年の5月に書きました「遥かなるルマン」にも述べているように、それこそ、ほぼ全てのケースにおいて金銭をベースにしたトラブルに発展し、予想外の出費を余儀なくされるは、悪口を言いふらされるは、毎回、後味の悪い結末に付き纏われてきました。
つまり、童夢のルマンへの挑戦は、絶えず、「金を使って文句や悪口を言われる」という理不尽な状況が続いていた訳で、義務や使命などという大仰な動機ではなく、単純に道楽で続けてきた私としては、「金を使って文句や悪口を言われる」という毎回の予定調和的結末にはほとほと嫌気がさしていました。

いずれにしても、この歳になってから、毎度毎度、他人に文句や悪口を言われるような冒険は、それがいくら魅力的な冒険であっても、色褪せても来るし関心も薄れていきます。また、いくら道楽とはいえど、この日本から16回もオリジナルマシンでルマンに挑戦を続けている我々の技術的な冒険に関して、ここまで世間が無関心という現実も心を折る一つの原因となっています。

反面、気楽なのは、童夢がルマン挑戦に終止符を打つという事が、誰にも何にも迷惑をかけないほど影響力の無い出来事で、私なんかは、これをわざわざ発表する必要があるのだろうかと迷うくらいどうでもいいことだと言うことです。
こう言うと、すぐに拗ねているとか僻んでいるとか評する人が出てきますが、今まで、プライベーターがオリジナルマシンでルマンに参加すると言う困難な挑戦を支えてきた原動力はマグマのような灼熱の情熱だけで他には何の理由もありませんから、逆に、その原動力のエネルギーである情熱が冷めてきたら動きが止まるのは道理と言えます。

とにかく、「金を使って文句や悪口を言われる」というあほらしい環境には辟易していますので、最早、会社の利益のほとんどを投じてルマンで遊ぶという無駄遣いに全く興味は持てません。
今後、自動車メーカーからマシンの開発依頼が舞い込んだとしたら喜んで引き受けるでしょうし、将来、童夢が企業として大きく成長して、全てを自費で賄えるようになったら再挑戦が始まるかもしれませんが、それは次世代の話でしょうから、その頃は、私はそこには居ないでしょうね。

では、私はこれからどうするのかというと、当然、他のおもちゃで遊び始めることになるでしょう。もう準備を進めていますから追って発表しますが、「童夢-零」で始まった童夢のトリはやはりスポーツカーで締めたいものです。プロジェクト名「ISAKU(遺作)」発進します。

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