COLUMN / ESSAY

「JAFのさいてい」 ―JAF批判―

私は、かねてより、JAFを「不必要悪」と断じている。詳しくはCOLUMNの18 Feb.2004 「日本モータースポーツ小論」中の、「まず膿を摘出する」を参照いただきたいが、それはそれとして、童夢でも、2003年全日本GT選手権最終戦Rd.8鈴鹿において、#12のラインショートカット問題と、#12による#18への追突に関してのJAF審査会の判定を不足として提訴したり、F3ドライバーの無免許問題で、「チームがドライバーの行動の管理を怠った」という理由で訓戒処分が通達されたことに対する撤回要求や、F3でのアクシデントのペナルティー問題の不当性を訴えたり、いろいろ、ルールに従って対応していた時期もある。

しかし、いつもJAFの反応たるや稚拙そのものであり、まともに相手するのもはばかれるような体たらくだったが、我々にも、スポンサーやクライアントもあり、毎回、異なるジャッジが下されたり理不尽な言いがかりに唯々諾々と従っていては、モータースポーツ自体の権威も失墜してしまうので、JAFの気まぐれな判断で優勝を逃したりした場合は一般の法体制下で決着をつけようと、優秀な弁護士集団の事務所でかなり詳しく調べてもらったが、「特定の集団内で、お互いの了解で成立している内輪の問題であり、一般の司法判断にはなじまない」と一蹴された。つまり、JAFに対する提訴や控訴なんかの裁判ごっこは勝手にやってよ、という事なので、つまり、社会問題では無いという訳だ。
私はすぐさまチームに対して、「今後、JAFの裁定には無条件に従い、あらゆる抗議や意思表示を行ってはならない」と通達した。
JAFの存在自体を不当としている私が、JAFの運用するルールについて提訴だの控訴だのと争うこと自体が矛盾に満ちているからだ。それなのに、先日のF3レースでの接触問題で、またもや理不尽な裁定を下されたチーム(田中監督)は、頭にきてJAFに提訴し、却下されて控訴してしまった。さっそく私は私の通達の遵守を通知したが後の祭りだ。
却下は既定路線なのだからチームの提訴もパフォーマンスに等しく全く無駄なスタンドプレーのようなものである。提訴した以上は勝たなくてはならないのは当然で、却下されるということは、正しいことが正しいと判断される環境が整っていないのだから、それならば、まずその環境整備から着手しなければならない。それを放置しておいて、その脆弱なJAFに何の判断を仰ごうと言うのだ?我々はそういう環境を容認しながら、町内の運動会のようなレースをしているのだということを忘れてはならない。

ページのトップへ戻る