COLUMN / ESSAY

「スポーツ亡国論」 -社会評論-

我が国でこの意見を述べることはタブーとされているし、多分、袋叩きにあう事になるのだろうが、私にとっては、黙って飲み込むには限界を超えてしまったようだ。
まあ、私の老い先は長くは無いし、あの悲惨な戦争が終わった頃に生まれ、有限資源を食いつくし、大量の放射性廃棄物を置き去りにして、孫やひ孫にまで莫大な借金を背負わせるのを承知で贅の限りを尽くした、多分、人類史上もっとも恵まれた時代を生きた幸せは充分に噛みしめながらも、私にも子供は居るし、その子も孫を産むだろうし、単純に、自分の生きた時代が良かったからOKとは割り切れない気持ちも充分にある。

そんな、我が国も先行きを考えて布石を打っておくべき大切な時期の国政選挙に、大量のスポーツ選手の擁立だと!! 柔道選手?体操選手?競輪選手?野球選手?プロレスラー? こういう人たちって、現役時代には、毎日、朝から晩まで一心不乱に体を鍛えることが責務ではなかったのか? そんな時に、毎日、数時間は社会問題を勉強していましたというような運動選手がいたとしたら、それこそファンの応援に対する冒涜ではないのか?
つまり、スポーツ選手という人種は、原則的に頭はからっぽであるべきで、逆にいえば、少しでも日本という国の牽引役を担おうという志があったとすれば、最も知識を吸収しやすい青年期にスポーツにうつつを抜かしていたり出来なかったはずだ。
とにかく、どうしてもこういう連中を擁立したいのなら、島田神助に頼んで「政治家ヘキサゴン」でもやってもらって、「現在の自衛隊の隊員数は?」とか「国連の安保理事会の常任理事5カ国は?」とか「法律や行政機関の行為が、憲法に違反していないかどうかを判断する裁判所の権限を何という?」とか「国連が、治安維持などのために小部隊などを紛争地域に派遣して行う活動を何という?」とか「憲法や法律の範囲内で内閣が定める命令を何という?」というくらいのクイズを100問くらいやって、90問以上正解したら立候補資格が得られるというくらいのケジメは欲しいものだ。

おおよそ政治というものは、どんなに仔細で局所的でマクロな判断や決定であっても、その基づく所は大所高所からの視点でなくては単なる族議員であり我田引水にしか過ぎない。その大所高所からの視点というものは、物理的に飛行機から見たからと言って高所から見たことにはならないし、グランド・キャニオンから周囲を見回しても大所から見たことにもならないのだから、やはり基本的な部分は、学究的に蓄えられた広範な知識をベースに経験が加味されて醸成された高い見識が必要不可欠だと考えるし、それが政治家というものでは無いのだろうか?
経験はこれからとしても、少なくとも、空っぽの頭で勉強も経験もこれからというのでは、あまりに国民を愚弄していると言わざるを得ない。今まで体と技を鍛えることに専心していたはずのスポーツ選手は、一体、いつの時点から国民を正しい方向に導けるほどの見識を身につけたと思っているのだ? 何が君たちをそこまで勘違いさせてしまったのだ?

そもそもスポーツが盛んな事によって我が国にとってどんなメリットがあるのだ?北島康介がいくら速く泳いでも6.1Km/hだから20Km/hの「イワシ」にすら勝てないのだし、福島千里が全力で走っても32Km/hだから70Km/hの「グレイハウンド」にも勝てない。そのため人類は、イワシに勝つために船を発明しグレイハウンドに勝つために自動車を発明し、それらとの戦いには決着をつけているはずだ。
それに、彼らがいくら体を鍛えたところで、それが遺伝して日本人の体格が向上するという訳でもないのだから、しょせん、一代限りのお遊びだ。
GHQの占領政策は実に巧みだった。戦時国際法で明確に禁止されている無差別攻撃なんかを通り越して、日本の首都を絨毯爆撃したり市街地に原爆を投下して大量の一般市民を虐殺しておきながら、あの戦後のアメリカへの憧れを醸成する巧みな戦略は見事としか言いようが無い。
その裏で、GHQにより飛行機の開発を禁じるなど、幅広く、化学と技術分野に対する抑制策を講じて再興を妨げるとともに、WGIPによって贖罪意識を植え付けられ、トルーマンの3S(セックス、スポーツ、スクリーン)政策に踊らされて、すっかりとスポーツ漬けになっている日本国民は、まんま、アメリカが思い描いていた戦後日本そのもののような気がして背筋が寒くなる。

さて、このような話を、ごく低所局所的に矮小化して日本の自動車レース界を見てみると、スポーツ選手=レーサーがレーサーの頭でレーサーのメリットのみを追求するだけの自動車レースの世界を構築してきた結果、未来への礎となるべき技術や産業の育成は置き去りにされ、単にレーサーが走り回るだけの、言わば、浜松のオートレース状態になっているが、金が賭けられない分、存在理由は希薄だ。
その結果、黎明期より数十年の時が過ぎた現在においても、レース結果はTVでも報道されないし、5大新聞にも掲載されないし、トップレーサーが街を歩いても誰も気が付かないようなマイナーな状況に沈み込んだまま夜明けの兆しも見えない。
これらは、スポーツ選手という人種に政治的判断を委ねた結果としては同様のケースなのだから、どうか政治家諸氏は、日本の自動車レース界の現状を良く研究して、政治家の資質について改めて考え直していただきたいと切にお願いする。

林 みのる

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