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私が初めて書いた小説「SCIENCE 2.0」がAmazonから出版されました。

SCIENCE 2.0

昨年(2023)、感染症で3週間ほど入院しましたが全く無症状だったので退屈きわまりなく、暇つぶしに書きなぐった小説もどきを、退院後に思い立って文庫本風に印刷して友達に配ったりしていましたが、調子に乗ってAmazonから出版することにしました。
全編、嘘ばかりの妄想非科学小説ですが、いつも私は、こんな妄想を巡らせながら眠りにつきますし、そうすると夢で続きを観られる事もあります。だいたいはトイレを探し回って漏れそうになっている夢ばっかりですが。
しかしこれは、これから出版を予定している「ブラジャーVSレーシングカー 2」や「童夢から」などの先行テストの意味合いもあり、出版社との比較を検証していますから、問題が無ければ、追っかけて出版したいと思っています。

武林繁夫元童夢専務が死去しました。

身内のつもりなので、あえて逝去を使わずに死去にしましたが、この4月22日、かねてより闘病中だった武林繁夫元童夢専務が亡くなりました。
童夢が、まだ宝ヶ池にあった頃、2軒となりにあった京都信用金庫の小倉支店長が、なぜか自転車操業の童夢を「将来有望」と誤解して支えてくれていましたが、たぶん、担当していた武林の実直さに惑わされていたのだろうと思っています。武林の訃報を聞いた小倉さんから「武林さんとは童夢の資金繰りを支えた戦友だと思っている」とメッセージをいただきました。その、使いまくっていた戦犯の私と後ろで支えていた戦友の2人の3人で、時々、食事会をしていましたが、もう2年弱前でしようか、最後に食事をしたときに、なんとなく、頬がこけた感じがしたのと、いつもの覇気が感じられず、違和感を覚えたものの、リタイアして落ち着いたからかな?くらいに思っていました。その時に、すでに病魔が忍び寄っていたのかどうかは知りませんが、その後、罹患したと聞いたときは、やっぱりと思ったものです。もう一人、童夢を財務面(主に節税)で支えてくれていた岡本先生も早くに亡くなりましたから、童夢を財務面で支えることが、いかに大変で、ストレスフルで、命を縮めるような過酷な仕事であったかを物語っています。その点、私も鮒子田も矍鑠たるものですから、使うだけの人種は気楽なものです。私を先頭に、みんなが狂喜乱舞していたような童夢で、ひとり冷静な眼で私が最後の一線を踏み外すのを押しとどめていたような役割でしたが、時々、私が躊躇しているような時に、そっと背中を押すようなこともありましたから、根は童夢人でした。いずれにしても、奥と武林のどちらが欠けても童夢は成り立ちえませんでしたから、誤解を恐れずに言えば、リタイアしてから罹患したことすら職務に忠実な武林らしいと思えるほど誠実な性格でした。さて、あの世で再会できるでしょうか?多分、行き先が違うと思いますから難しいでしょうね。
以下は、脱稿したところの「童夢から」の一節を紹介しておきます。

武林繁夫は、ヤンマーから転職してきた設計技術者だったが、そのころの童夢は技術屋ばかりで総務部というようなセクションも無かったし、税務署や銀行が訪ねてきても誰も対応しないものだから、ずっとロビーで待たせるというようなことが頻発していた。その内、武林が見かねて対応するようになっていたから、だんだん、そういうたぐいの来客や問い合わせは武林に振られるようになっていったが、まるでそれが天職であったかのようにうまくこなすし、処理の仕方が論理的で合理的なものだから、他の技術系の社員にも理解しやすく、いつの間にか自然に財務総務全般を司る立場になっていった。しかし武林の場合、単に設計者の中で財務総務に強かったというだけではなく、もともとこのような事務系に適した感性と能力を持ちながら、間違って設計者の道を選んでしまったという表現が適しているほど優れた事務処理能力をもっていた。但し、杜撰な処理が嫌いだから税務申告なども必要以上に正確を期するので、万年、赤字の時代はそれでもよかったが、後になって利益が上がるようになってくると、正確無比な申告という事は、すなわち、きっちりと税金を支払うという事と同義だから、いつの間にやら童夢は優良法人に認定されていたし、武林は納税協会の役付きに就任していた。会社の危機を救う事が生きがいの税務の岡本先生にとってはつまらない会社になってきたようで、「武林君のやっているようなことは弥生会計でも出来る」と不満そうだったが、私にとっては全てを預けているパートナーだから、うまくやるタイプよりもキッチリとやるタイプの方が100倍も信頼できるし、私にとってかけがえの無い片腕となっていった。

20年ぶりに「林みのるの穿った見方」が大改築されました。音と映像に彩られた私の遺言書です。

もう資料も残っていないので何年か分かりませんが、童夢は、かなり早い時期からホームページを開設しています。
しかし、訳も解らず難しい注文をしたためにほぼカスタム仕様となり、その後、ちょっと改造するのも大変で、結果、ガラパゴス化していました。そこで、今回のリニューアルは応用性の高いスタンダード仕様とし、私が死んだ時にも、遺族が葬儀の模様をアップしやすいように配慮しています。

「ブラジャーVSレーシングカー2-digest-」をアップしました。

老後の私に降りかかった悲劇については、第三書館から出版されている「クラッシュ」や「クラッシュⅡ」や、私の書いた「ブラジャーVSレーシングカー」等で公開してきましたが、この奪われた私の資産の中には、童夢の25%の株(現在は、私の会社である「童夢ホールディングス」の25%に置換されている)もありました。近年は、この株の奪還に注力してきましたが、その間、相手側を刺激しないようにと口を封じられていましたから、世間に不当な噂が流れても声を出すことも出来ませんでした。
しかし、2022年末になって、この25%の株の奪還に成功しましたので、満を持して「ブラジャーVSレーシングカー2」を出版しますが、この本は長文なので、当ホームページには20分で読めるように簡略化した「ブラジャーVSレーシングカー2-digest-」をアップします。

「ブラジャーVSレーシングカー2」 出版準備中。

先駆けて当サイトで公開した「ブラジャーVSレーシングカー2-digest-」の本編である「ブラジャーVSレーシングカー2」は、私に着せられた不当な濡れ衣の全てが嘘であることを証拠をもって証明するために、かなりの長文となっています。まあ、あんまり楽しい話では無いので、どれだけの方に読んで頂けるか分かりませんが、私が黙ってしまえば詐欺師どもが枕を高くして高笑いするだけですから泣き寝入りは出来ません。既に脱稿しており、現在、校正中ですから、もうすぐ出版に漕ぎつけると思います。

「童夢から」 出版準備中。

「童夢へ」のあとがきに「童夢から」を出版すると書いたものだから、今まで、多くの方から「いつ出るのだ?」と聞かれてきました。 実は、2008年くらいからは書き始めていたのですが、古い話は時系列が混沌としてストーリーとして成立しなくなるので、一旦、筆を置き、秘書に、あらゆる資料やクリッピングから出来事と日時の時系列表を作ってもらっていました。しかし、気が向いた時しか会社に来ない秘書だったので、だらだらと時間が過ぎていくうちに「ブラジャーVSレーシングカー2」に書いたような事件が勃発して、否応なく紛争に巻き込まれるは、挙句、裁判では、資産を奪われた私の方が不当な要求をしているような判決が出され、世間の誤解を解くために「ブラジャーVSレーシングカー2」を書かざるを得なくなり、そのまま筆が止まっていました。
しかし、気が付けは私も喜寿を迎え、いつ死んでもおかしくない歳になっていましたから、正確な記述に拘っていたら生きている内に脱稿できるかもわからなくなってきました。そこで、記憶にあることを書きなぐるというスタイルで急いで書き上げたため、途中から急にアバウトになっていますが、もし間違いがあっても、私が、そういうイメージで受け止めていたという意味では正確とも言える訳で、つまり、雰囲気重視でご笑覧いただければ幸いです。
もう、ほとんど書き終えているものの、あまりにいろいろな出来事がありすぎて、今のところ文字数としては「竜馬が行く」に逼迫していますから、現在、ズバズバと断捨離中です。今しばらくお待ちください。

「ブラジャーVSレーシングカー」が出版されました。

ブラジャーVSレーシングカー


これを因果応報と言うのでしょうか? 好き勝手に生きてきた我儘な人生の末路に降りかかってきた想像を絶する不幸な出来事については、第三書館から「クラッシュ」「クラッシュⅡ」というドキュメンタリー本が出版されていますが、その後も争いは続き、常識を超越した信じられない展開となっています。そこで、私自身の筆で真実を詳らかにする事を決意して執筆したのが「ブラジャーVSレーシングカー」です。

「ブラジャー VS レーシングカー」 第三書館 林みのる著 定価1500円+税

「童夢 “ゆめ” を “かたち”に」が開催されました

2016年10月8日から、名古屋の「アウト ガレリア “ルーチェ”」で、いわば「林みのる展」とも言うべきイベントが開催されました。もう隠居老人である私としては何ともおもはゆい気持ちで恐縮するばかりですが、テーマとしては、童夢に至るまでの私の足跡を、実車や写真や映像などにより解りやすく展示していただきました。

童夢 “ゆめ” を “かたち”に 童夢 “ゆめ” を “かたち”に 童夢 “ゆめ” を “かたち”に 童夢 “ゆめ” を “かたち”に 童夢 “ゆめ” を “かたち”に 童夢 “ゆめ” を “かたち”に

「クラッシュ」という本が刊行されました。

クラッシュ クラッシュⅡ

本事件は、いわば骨肉の争いであり、離婚に伴う資産の奪い合いに過ぎませんから、何とか穏便に収めようと努力してきたものの、それはもう、個人間の損得の問題を超越し、私と童夢の最後の夢であった公道を走るスポーツカー開発を破たんに導き、童夢の継承に陰を差し、あまつさえ、私個人の名誉を損なうような極めて理不尽な誹謗中傷を流布されて、とてもじゃないが看過しかねる状況に至っていたところ、この騒動を聞きつけた出版社とライターから取材の申し込みがありましたので、私も、ある意味、気持ちの上で限界に来ていましたから、この際、全てを詳らかにして、一方的な私にとって不利な噂の拡散に歯止めをかけたいとの思いが募り、取材に応じました。

ライターは、思った以上に詳細な取材を行い、どうしても元嫁側の意見も聞きたいと何度もチャレンジしたようですが、完全なる取材拒否を貫かれたようで、結果、私への取材と私の提示した資料が中心となった構成になっています。

最初、ライターは「元嫁側の災難」という視点も持ち合わせていたようですが、途中から、とても私の人生や生き様に興味を持っていただいたおかげで、半分は私の伝記のようになってしまっています。私にとっては、人生の最後に至って、つまらない路傍の石に躓いて頭を強打したような災難ですが、何よりも、元嫁側の嘘八百の誹謗中傷が独り歩きし、本来は被害者である私が、まるで加害者であるかのごとき誤解が世間に広がっている実情と、それが金がらみであることの忸怩たる思いがやり切れませんから、少しでも多くの方が、この「クラッシュ」を読んで、その実態を理解していただければありがたいと思っていますし、そういう意味で、著作者と出版社には感謝しています。

「クラッシュ」 第三書館 丸山 昇著 1980円
「クラッシュII」第三書館 丸山 昇著 1650円

「童夢ホールディングス」創立

2015年は、私にとって「童夢」を譲渡したり、私が引退したり、大きな節目の年となりましたが、「ブラジャーVSレーシングカー2 -digest-」でも説明していますように、元嫁に童夢の25%の株を奪われるという不測の事態の発生により、「童夢」の譲渡は予定通りには実施できなくなっていました。仕方なく、強力なファイナンシャル・アドバイザーや弁護士などに協力を依頼して作戦を練り、不要な妨害を受けない形を作りましたが、法外な費用がかかり腰が抜けました。
詳しい内容は言えませんが(私が理解していないので)、結果的に、残った資産の管理会社として「童夢ホールディングス」という会社が残ることになりました。まあ、実質的に、ほぼペーパー・カンパニーのような会社です。
私は代表取締役を辞任して退職金を受け取っていますから再登場できませんので、家内の睦美が社長となり、私は平社員として所属しています。
本社屋は自宅の片隅に建築したガレージの二階の事務所となっていますから、つまり、同一敷地内です。
目的があったといえ、好きな仕事で利益を上げていた会社を売却してしまった訳ですから、これから新たに何かをするということはありませんが、実入りが無いと干上がりますから、あこがれの不労所得を目指して不動産の賃貸業でも始めるつもりです。

株式会社 童夢ホールディングス
代表取締役社長 林睦美
〒606-8264 京都市左京区北白川小倉町50番地148

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