作品展 / MUSEUM  【工業製品・建築】

基本的にデザインは他人に任せない、気にいった既製品が無ければ何でも作ってしまうという性格から、いろいろな工業製品が生み出されてきました。
特に建築物に関しては、1978年に建設した京都宝ヶ池の本社屋をはじめとして、自宅や会社の建物を6物件デザインしていますし、家具、内装品などもデザインしてきました。ただし、全て非売品ですからご注文はご遠慮ください。

■DOME CAR ACCESSORY

DOME CAR ACCESSORY

1979年ごろに、知り合いのカーショップに頼まれて、「童夢-零」のパーツをベースにしたカーアクセサリーを生産/販売しました。当時としては、あまりに奇抜なデザインだったために評判は悪く、まったく売れませんでした。

■応接テーブル

応接テーブル
応接テーブルディティール

レーシングカーのサスペンションをイメージした脚部は、56個のピローボールと28本のアームと16個のフライス加工のブラケットで接続されており、見積もりも取らずに製作したら、一台が100万円以上かかってしまいました。よく、お客さんから作ってほしいと頼まれますが、値段を言うと断られます。

■傘たて

傘たて

傘たても、なかなか良いデザインのものが見つかりませんね。これはまだ、機能チェックのための試作品ですが、傘を適当に楕円の穴の中に投げ込むと直立して収まるように出来ています。

■灰皿

灰皿

童夢製応接テーブルにマッチする特製灰皿です。

■トイレサイン

トイレサイン

本来は、半透明のアクリルを加工して、根元にLEDを仕込んだ光ファイバーで吊るして光らせようと思っていたのですが、時間が無くて、アルミ加工品にアルマイト加工を施してある暫定品です。これもご注文が多いのですが、原価を教えると要らないと言われます。

■バスストップ

バスストップ

童夢の敷地内に湖国バスのバスストップ「童夢前」があります。既成の標識があまりにダサかったので文句を言ったら、自由に作ってくれという事だったので、童夢で製作しました。

■インターホン、表札

インターホン表札

市販品のドアカメラ、インターホン、人感センサーなどの中身と、特製のLEDライトを組み合わせた玄関ユニットと、表札です。表札は、当時の妻の亡くなったお父さんの自筆の遺品なのですが、そのままでは、ステンレスのドアに合わないので、照明を兼ねたホルダーを製作しました。

■テーブル

テーブル

自宅を建築中に、家具を探しにイタリアに行きました。ある高級家具屋でお気に入りのテーブルを発見した当時の妻が、「これいくらですか?」と聞いたところ、日本までの送料を含み1個90万円とのこと。6個必要とのことなので計540万円と言うことになります。びっくりした私は、「童夢の総力を結集して同等の物を作るから、これは諦めてくれ」とお願いしてこの場を切り抜けました。
しかし、コピーは作れないので、家内のイメージをリサーチしながらオリジナルなデザインで製作したパーティルーム用テーブルです。脚は皮巻きで、ステアリング用の童夢のロゴが押印されています。これは16万円で出来たので、いままで友達のリクエストに応じて何脚か作ってあげています。

■通行ゲート

通行ゲート通行ゲート

当時の我が家は、家内の実家と義理の兄の家と3軒が並んでいて裏庭がつながっています。
時々、庭を散歩している人が隣の庭に迷い込んで、隣人のくつろぎ中のあられもない姿を垣間見たりしてしまうので、普段は通行禁止のゲートが下りています。
ゲートの中に移動するウェイトが仕込まれていて、閉めたら閉まりっぱなし、開けたら開けっ放しになるように設計されています。

■CFRPの茶杓とTITANIUMの棗

CFRPの茶杓とTITANIUMの棗

裏千家の若宗匠(現宗匠)から、異業種乱入の茶道具展を開催するから参加してくれと頼まれて、童夢なりの茶道具を製作して出品しました。
もちろん、洒落ですから「無用の超物」というタイトルで、女の子がぶら下がっても折れないカーボン製の茶杓と、車を3台積んでも潰れないチタン製の棗を出品しましたが、この洒落を理解していただけず、茶杓は茶杓のコーナーに、棗は棗のコーナーに展示され、せっかく作った説明パネルも畳も使われなかったので、 見事、空振り三振となった苦い思い出が蘇る作品です。

■京都宝ヶ池 童夢本社(1978年建設)

京都宝ヶ池 童夢本社 京都宝ヶ池 童夢本社 京都宝ヶ池 童夢本社 京都宝ヶ池 童夢本社

「童夢-零」のラジコンなどが売れに売れて、いっぱいロイヤリティが入ってきたので建設した最初の童夢本社です。京都のこの地域は、無理矢理、和風建築を建てさせるための稚拙な条例が施行されているので、フラットな屋根は駄目、丸い柱は駄目、総二階は駄目、外観は和風建築の色じゃないと駄目とか、安っぽい建売しか建てられないような中途半端な制約が事細かに決められており、洋風の建物を建てたい人は、これらの規制に合わせながらデザインするので、結果的に、とてもおかしな建物が乱立することになります。
とても幼稚な発想で、こんな規制と首っ引きでデザインすることすら不愉快ですが、規則は規則、この建物も、和風建築として建築許可が下りています。ちなみに、外装色は、和風の土壁の海藻色として許可されています。

■京都大原 童夢本社(1987年建設)

京都大原 童夢本社 京都大原 童夢本社 京都大原 童夢本社 京都大原 童夢本社

宝ヶ池が狭くなってきたので、滋賀県に土地を購入して基礎工事を始めていましたが、その時この土地を見つけ、どうしてもこちらのほうが良いので、工事を中止して買い換えました。一番気に入ったのは、周囲の景色もさることながら、国道に面した部分以外は全て川に囲まれており、裏側から見ると、お城の周りのお堀のように見えるところです。つまり、土地を接したお隣さんが無いというところです。 ここも、無理矢理、和風建築を建てさせるための規制対象地域なのと、土地を購入した時点で、既に建築許可を得た図面があったので、基本はそれに準じたレイアウトにしましたが、外観は、周囲の環境にマッチするように心がけました。
余った土地に90ヤードの本格的なショートコースを作り練習を重ねましたが、90を切ることはありませんでした。

■京都修学院 林みのる自宅(1988年建設)

京都修学院 林みのる自宅

ここも風致(規制対象地区)の真っ只中なので、かなりの制約を受けながらのデザインとなりましたが、終の住まいとして、ドアノブ一つにもこだわってデザインしました。
母のために完全なバリアフリーとなっています。修学院離宮のすぐ隣で比叡山の登山口が家の前という環境で、家の周囲には鹿も訪れるし、猿は我が家の庭の常連でした。

■お墓

お墓

私の骨は海にでも撒いておいてもらえば良いのですが、親戚から長男の責務と攻め立てられて建てたお墓です。掃除が面倒だからメンテナンスフリーに徹してデザインしましたが、あらゆる隙間から芽を出して来る雑草と所かまわず出てくる苔は防げませんでした。

■京都下鴨 林みのる自宅(2003年建設)

京都下鴨 林みのる自宅京都下鴨 林みのる自宅

修学院が終の住まいのはずが、諸般の事情で、鴨川河畔の下鴨に第二の終の住まいを建設することになりました。修学院の家のデザインでかなりエネルギーを使いきっていたので、ある程度は任せるつもりが、やり始めると、やっぱり全てを自分で決めないと気が済まず、結局また、かなりのエネルギーを費やすこととなりました。なお、ここも風致地区です。

■滋賀県米原 童夢本社(2006年建設)

京都大原 童夢本社 滋賀県米原 童夢本社

今回は、初めて風致条例の無い滋賀県での建設です。ある程度は自由度が増しましたが、その代わり全体が大きいので、ちょっと贅沢すると、とんでもなく予算が膨れ上がり、コストダウンに汲々とするデザイン作業となりました。
最初の童夢本社のカラーイメージはダークグリーンでしたが、米原本社はライトグリーンを意識しています。残土は廃棄せず、隣接する建物との間に台形状の山のような壁を作り、隔絶感を演出しています。この山の名前は、番場の忠太郎が活躍した土地柄にちなんで、三度山(SAND MOUNTAIN)と名づけています。

■京都北白川 林みのる自宅(2016年建設)

京都北白川 林みのる自宅

なんだかんだと終の棲家も3軒目になってしまいましたが、もうエネルギーが残っていませんから、もう最後になるでしょう。3軒目で手慣れているせいか、デザインも機能も満足しているのですが、今までの自宅が全て外観を規制されている風致地区だったので傾斜した屋根が必要と思い込んでデザインしていたら、棟上げの頃に規制外だという事が判明したものの、今更、変更も出来ず、悔し涙を流したものです。
規制外ということは屋上が作れた訳で、すぐ東側に横たわる東山連峰を借景に、間近には大文字が灯る絶景の場所だけに、残念です。
詳しくはNov.30 2016「やっと落ち着きましたので新居を紹介します」をご覧ください。

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