COLUMN / ESSAY

「FIA-F4発進秘話」 ートヨタの支援ー

お決まりの愚痴

注)前半はお決まりの愚痴だから、主旨は中盤の「FIA-F4発進秘話」から読んでください。

朝からずっとパソコンに向かい、日本が外国にばらまいている支援金などの詳細を調べているが、断片的な情報が錯そうしているだけでなかなか実態が見えてこない。きっかけは、10年くらいも前に、未だに中国にODAをしていると聞いてあり得ないと思ったが、事実だった。
それからかなり時間が経った今、ある本を読んでいて、まだ中国に金を払い続けていると書いてあるのを見て、10年前の1000倍くらいあり得ないと思って仰天したが、嘘八百を書くような本でもないので念のために調べているという訳だ。
ディスプレイには、ミャンマー、チェニジア、インドなどの国名と共に巨額の数字が並ぶが、なかなかその全体像や実態は見えてこないから、午後は紙の資料を追及する予定だが、一方、国内には2年半も前の震災の被害者が未だに数十万人も避難生活を余儀なくされている現実もあれば、福島の原発が廃墟のような姿を晒したまま放射能汚染水を垂れ流し続けていたりもするし、単純に、そんな散財をしていられるような状況なの?と思う上に、復興予算が好き放題流用されていたり、消費税増税と共に予算規模が200兆円におよぶ国土強靭化計画が自民党から土建屋への手土産にぶち上げられたり、32個も「その他」の付いた何でも有の秘密保持法が、たいした抵抗もなく審議が進んだり、一流のホテルやデパートまでが偽装表示をしていたり、とにかく、私はこの国の事がよく解らなくなってきている。

特に、無限の本田社長やホリエモンや漢検の大久保君やエリエールの井川元会長など、普通に善良なる親しい友人たち、まあ、多少は道を誤った奴もいるが、ほとんど他人に迷惑をかけていないような人たちが、いとも簡単に監獄にぶち込まれていく現実を横目で見ながら、福島の事故でこれほど多くの国民がいつ果てるとも知れない多大な迷惑をこうむっているにも関わらず、それを推進してきた政治家や当事者である東電の誰一人として起訴もされない現実は、正義の概念すらもあやふやになってきて、ますます、この国の事が解らなくなってくる。

そんな日本の、それも、小規模過ぎて目立ちもしない自動車レースの世界においても、私にとっては解らない事だらけだったけれど、こうして世の中の動きを見ていると、レース界だけが特別に劣化している訳ではなく、ここにも平均的な日本の現状が反映されていることがよく解り、ちょっとやそっとでどうなるものではないと、ますます絶望感が深まっていく。

絶望は今に始まったことでは無いが、HONDAのF1挑戦やNISSAN R380やTOYOTA 7の活躍などの黎明期の日本の自動車レースの輝きを色褪せたものにしていったのは、本質的には、日本の自動車レースの金主である自動車メーカーの不見識に尽きる。このあたりの自動車メーカーへの悪口は、TOYOTAの「GAZOO RACING」のコラム「クルマとモータースポーツの明日 9人の提言」でさんざん罵倒しているので参照していただきたいが、以下に抜粋を掲載しておく。

「日本の自動車レースのほとんどの資金源は自動車メーカーであり、各自動車メーカーの担当者がその使い道を裁量するが、これらの人は数年で配転となるから絶えず素人が采配を振っていることになる。一方のレース界には何十年と経験を重ねている人が大勢いるから、土台、話は噛み合わないはずなのだが、なにしろ、片や金を出す方で、片やそのお金が無くては生きていけない立場なのだから最初から勝負にはならない。
結果、「子供たちに夢を」とか「公平に勝とう」とか、自動車メーカーの素人の担当者が理解しやすいような安易な提案の出来る人が重宝され、小難しい話は敬遠されがちだから、おのずから日本の自動車レースは「ドライバーの育成」と「プロレス」だけになってしまった。
自動車メーカーにも、レース畑に長くとどまっている人もいるのに、どうしていつまでもこのような素人っぽい発想しか出来ないのかと不思議でならないが、自動車メーカーと長く付き合っていると解ってくるのが大企業のサラリーマンの特性だ。
彼らは、出過ぎたことをして汚点を残したくないものの、何もしないと評価もされないというジレンマの中で絶えず揺れ動いているから、本質的に、勝敗と責任の所在が明確な勝負事が苦手だ。だから、自動車レースに対しても、ドライバーの育成というようなワンクッションおいた取り組み方を好むようになるし、レースでも真剣勝負を避けるように複雑怪奇なシステムを考え出し勝敗の行方をあやふやにする。
つまり、自動車レースが歴然とした勝負事であるにかかわらず、勝敗という本質的な要素から逃避した形でしか取り組まないから、自動車レースは自動車レースで無くなるし、そんなレースをいくら続けていても、素人はいつまで経っても素人だ」

このように、担当者がコロコロと変わる自動車メーカーはしょせん素人なんだから、と言うことは、レース界が自動車レースの未来を見据えた建設的な提言を続ければその方向に誘導できたはずであるのに、では、誰が日本のレース界をこれほどまでに疲弊させてきたかと言えば、その真犯人はドライバーのOB連中である。
現在の日本のレースは、金の出どころこそ自動車メーカーだが、あらゆる手管でその自動車メーカーから金を引っ張り出しているのはこのOB連中であり、走ることしか能の無かった彼らが考え付くのは「ドライバー育成」だけだから、それが、前述した自動車メーカーのサラリーマンの出過ぎず埋もれずの感性と調和した結果、日本の自動車レースはそれが全てであり、それしか無くなってしまったという訳だ。
彼らはドライバーなんだから、自らの業績を誇りそれを後進に伝えたいと願うのは当然だと思うし、中島悟が、鈴木亜久里が、金石勝智が、関谷正徳が「子供たちに夢を」と叫ぶのは理解できるが、それでも、何十年も日本のレース界を見てきているのだから、リタイアしてレース界に残るのなら、単なるドライバーOBの食いっぷちの獲得に汲々とするだけではなく、レース界全体を俯瞰して発展的な未来に誘導するくらいの見識を持ってもらいたいものだ。
これじゃ、アントニオ猪木と馳浩と橋本聖子と谷亮子とが日本国憲法とか防衛について協議しているようなもので、こんな連中に国の未来を託していたら、将来、日本は確実に中国に吸収されるだろう。そんな、失意の果てに半隠居を決め込んでいた私にとっても、さすがに看過しかねる出来事が勃発したが、日本のレース界のあまりのリアクションの希薄さにたまりかねて、生臭れのゾンビみたいに少し動き出してしまった。
詳しくは、先般、当ホームページに掲載した「小型黒船の来襲<FIA-F4がやってくる>」を参照いただきたいが、その後の状況を観察していて解ったことは、日本で、このFIA-F4の台頭に危機感を抱いているのはほぼ私だけであり、ほとんどのレース界の人たちにとっては安い外国製入門フォーミュラの出現は歓迎すべき事であるという能天気な現実だ。

FIA-F4発進秘話

「小型黒船の来襲<FIA-F4がやってくる>」で述べたように、このFIAの企みを座視していると、結果的に、日本のレースに使うレーシングカーは全て外国製になってしまうし、そうなれば、当然、自動車レース産業と技術は壊滅する。
なによりも、東南アジアに先んじること50余年のアドバンテージを誇る日本の自動車レースの歴史は元の木阿弥、ふりだしに戻って、東南アジア諸国と全くイコール・コンデションのもと、ヨーロッパから与えられるレギュレーションとレーシングカーによるレースを受け入れざるを得なくなる。 まあ、ドライバーOBの頭で考えることと言えば、「東南アジアで交流戦ができるね」くらいの話だが、その横で、本来は自分たちの表舞台を支えているはずの産業構造が崩壊しつつあることや、その原因が自分たちの我田引水で狭量な思考回路であることには全く気が付かない。ドライバーだから。

ちょっと話は遡るが、FIA-F4のコンストラクターとして参加する事を表明する期限が迫りつつある頃、私はJMIAの理事会でJMIAとして立ち上がろうと煽り続けていた。しかし、期限が迫っても、誰も何も言わないし動かないし何事も無く時間だけ過ぎていたから、毎日、募るイライラを押さえつつ日本のレース界を観察していて、ふと気が付いた。日本のレース界が何にもしないんじゃなくて出来ないんだ!と。
FIA-F4がレギュレーションで定める€33,000というキャップ・プライスも信じがたい数字だが、それが実現可能かどうかを検討できる経験もなければ技術水準にも無く、まして、量産が前提となれば生産体制(外注網などのインフラ)も想定外だろう。
まあ、何だかんだと言われつつも、童夢が動くしかない訳だが、しかし、そうして考えると、日本のレース界にとって、童夢という存在は貴重だと思えてくるし、私はもう、こんな、レース界に邪魔者扱いされるようなレーシングカー・コンストラクターは存在意義もないと思っていたから潰してしまおうと思っていたが、もし今、日本に童夢が無かったら、ヨーロッパから見た日本は全く東南アジアの近隣諸国と同条件となってしまう訳で、私としてはちょっと待てよと言わざるを得ない。

私は、ずいぶん以前から日本の入門フォーミュラ・レースの東南アジアでの展開の必要性を提案し続けてきたが、どの自動車メーカーも興味を示すことは無く手付かずだったから、今、FIA-F4の進出を許したら確実に日本の自動車レースは東南アジアのone of themとなり下がってしまうだろう。
だから私としては、絶対にFIA-F4マシンの生産者として参入して海外から流れ込んでくる外国製FIA-F4の侵入を阻止しなくてはならないと思うようになっていたし(FIA-F4は1国1種類のシャシーと決まっている)、あわよくば、東南アジアをはじめとする世界のマーケットに対してシェアを拡げていきたいと思うようになっていた。
問題はやはりコストで、ヨーロッパのコンストラクターがこの価格でも検討できるのは、同種の既製品を流用できるから開発費が低く抑えられることが前提であり、また、インフラが整っているから量産の立ち上げに設備投資も不要だ。
また、東洋のコンストラクターが売り込むには何かセールスポイントが必要だが、コンペティターが流用品で開発コストを抑えにくるなら、童夢としては、あらゆる面で高品質なマシンを作って対抗せざるを得ず、かなり開発費が必要となるし、この開発費を製品に割掛けしていたのではコストが€33,000をはるかに超えてしまう。
つまり、開発費を無かったことにしないと成立しない計算になるから、もう、はなからビジネスの体を成していないが、私は、このかなりの金額に上る開発費を自己負担してもFIA-F4に参入する決意を固めていたから、かなりの英断をもって日本自動車レース工業会(JMIA)の理事会の席上で参入をぶち上げたが、私としては、老後の生活費を投じての一大決意だったのに、JMIAの幹事諸君の反応は希薄で、ちょうど送迎のバスが来たから、みんな帰り支度を始めて、一人去り二人去り、あっという間に誰も居なくなってしまったから、さすがに、拍子抜けしたものだ。
開発期間も限られている中、JMIAの皆様の技術力や工業力の協力無くして不可能なプロジェクトだから、それから個別に協力を依頼して回ったが、私個人の資金力に頼らざるを得ないところに忸怩たるところもあるようで、一様にノリは悪かった。
しかし、宣言した以上、進めざるを得ない私は、鮒子田をPLに任命して開発体制を固めつつある頃、トヨタの副社長の加藤さんとの食事の席で、そんな愚痴をこぼしていたら、一週間も経った頃、「それは林さんが個人で負担するべきではない。トヨタが支援します」と3億円を供出してくれた。
それも天の助けだったが、その話をJMIAの理事会で話した途端、全員の眼の色が変わり、イメージとしては、全員が一斉に立ち上がって万歳したように思えるほど雰囲気が激変した。やはり、JMIAと言えども、長きに亘って自動車メーカーに依存して生きてきた習性は沁みついているようで、やっと本気になってくれたというところだろう。
基本、トヨタの意向としてはシャシーの開発費に充当してくださいという事だったので童夢が頂いておいても問題は無かったが、ここは私の高邁な配慮によって、この3億円をJMIAの理事であるTRDの担当者に託し、レース開催までに必要なところに公平に分配してもらった。だから、エンジンを開発するTOM’SにもギアボックスのTODAにも開催するGTAにも配分されている。
これで盛り上がったJMIAの総合力と鮒子田の煽り気味の采配によって奇跡と言ってよいほどのスピードで開発と生産が進み、当初から希望していたSGTCの前座にも組み込むことが出来て、結果、あの奇跡の開幕戦に至った訳だ。
私は、トヨタに対する感謝の気持ちを込めて「FIA-F4トヨタCUP」のような名称にしようと言い続けていたが、自動車メーカーは金を出すのが当たり前と思っているのか、レース界からは全く感謝の言葉も聞こえず、私が自腹で開発するぞと宣言した時の無反応さと相まって、この人たちの精神構造がますます見えなくなっているこの頃だ。

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