COLUMN / ESSAY

「小型黒船の来襲<FIA-F4がやってくる>」  ―危機を訴えるー

一昨日は、約2年ぶりにGTレース(鈴鹿1000Km)に行ったが、意外とサーキットは賑わっていて、これじゃ関係者の危機意識が希薄な事もうなずけると思えるほどだった。
しかし、安定的に金を出し続けてくれている自動車メーカーからの資金が流れていく先だけは湿潤していて芝生も青いが、それ以外は干からびた砂漠のようで、そこに生存環境は無い。
それはまるで愛人とパトロンのような関係にしか過ぎず、パトロンが金を出し続ける限り愛人が生活に困ることは無いし社会的貢献や自立する努力も必要のない安穏たる世界だ。

その鈴鹿で見た風景は、派手なチームウェアに身を包みヘッドホンを装備しサングラスの奥の鋭い目つきがカッコ良く、きびきびとした動きでドライバーに指示を与える自動車メーカーのサラリーマン達の溌剌とした姿であり、一方的に金を出している絶対的な立場に乗じて自動車レースという遊びを満喫している姿だ。
そんな楽園の真っただ中に居ながらも、私にとっては、とても場違いで居心地の悪い場所だったし、私が今、最も重大視している日本の自動車レースにとっての大問題について誰からも一言も無く、まるで別世界を浮遊しているような違和感を覚えながら帰途に就いた。

私は今までも、日本のレース産業と技術の発展向上を目的に、FNやFCJの国産化や、FIA-GT3の制限や、DTMの導入反対などを主張してきたし、東南アジアへの影響力の強化を主題に入門用フォーミュラ・レース普及への努力を訴えてきたが、自動車メーカーのサラリーマンの誰一人として興味を示すことは無かったし、例え、聞く耳を持っている人が居ても何も動くことは無かったので、結果、FNとFCJの購入代金は海外に流出し、GT300はFIA-GT3に寡占され、GT500はDTMに手籠めにされかけている。

そんな時、ヨーロッパの方向からFIA-F4の話題が伝わってきた。量産効果により、車体€33,000、エンジン€7,000(年間)という低価格を実現して、フォーミュラ・フォード等まで含めて入門用フォーミュラの世界を一新しようという大胆な企画だが、日本の反応は、そんな安いフォーミュラが出来るなら、日本のF4もSFJもFIA-F4にしてしまえという、相変わらずのドライバー育成しか念頭にない偏狭な意見ばかりだし、日本独自のレースだったGT500を簡単にDTMに身売りしてしまうような連中だから、結果的にそうなってしまうのは火を見るより明らかだが、そんなことをしたらどうなってしまうのか解っているのだろうか?

1962年に鈴鹿サーキットが完成し、1963年には第一回日本グランプリを開催し、1964年にはHONDAがF1にまで参戦している、東南アジアの自動車レース環境では異次元の50年以上ものアドバンテージを持つ日本の自動車レースの歴史は完全にご破算となり、共にヨーロッパよりFIA-F4を導入してフォーミュラ・レースを展開する事において他の東南アジア諸国と全く横並びとなってしまう。50年の先祖がえりだ。
つまり、構造的には下記のようになる訳だ。

これが、今まで日本の自動車メーカーが金をばら撒くことによって主導してきた日本の自動車レースの末路だ。
今更、どうなる物でもないし、我々、日本のレース産業界の仲間も、乾いた砂漠で干からびかけているから立ち上がる余力も無く黙って見過ごすしかないが、それにしても、自動車レースに関わるほとんどの人の通過点である入門フォーミュラが世界統一規格、つまり輸入品になってしまうという事は、強いては、日本の自動車レースのレース産業と技術からの決別を示唆しており、ここから生まれてくる人材はドライバーだけになってしまうだろう。
まあ、現状とさして変わりは無いと言えばそのとうりだが、ヨーロッパの主導のもと東南アジア諸国とドライバーの速さだけを競い合う競技にいかほどの価値があるのか?それがこれからの日本の自動車レースに何をもたらすのか?今までの50年間は何だったのか?虚無の世界が広がるだけだ。

FCJのシャシー決定は非常に政治的に進められたが、その際にメーカー系の人達から盛んに出てきた言葉が「グローバル・スタンダードに合わせる」という理由だ。つまり、世界で多く使われているシャシーを用いることによって外国のドライバーと同条件で育成すべきというもっともらしい意見ではあるが、入門用のワンメイク・フォーミュラなんて熾烈な価格競争の結果生まれた、いわば、バッタ商品のようなものであり、乗用車にも軽四輪からフェラーリまであるように、F1を頂点とすれば最下層のレーシングカーだ。
F1を目指すドライバーを育成するというのなら、なるべくF1に近いレーシングカーを用いた方がベターなのは言を俟たないが、この言葉は、国産のレーシングカーがそのバッタ商品以下であるという前提で出てくるようだから、慎み深い日本人としての謙譲の美徳か、まだ残るコンプレックスか、単なる無知かはしらないが、生存競争で言えばはなから食われているに過ぎない。
私は、こういう場合、まず、日本製のレーシングカーで世界の市場を席巻しようと思うし、価格やクオリティを含めて負けるわけがないと思っているから、まさに食ってやろうと意気込んでいる横で、メーカー系の人達が進んで食われたがっているんだから、情けないしイラつくし、私はいつもそこに、LOUISVITTONの小銭入れに群がる日本女性を見る。

さて、相変わらずの日本のレース界は、このような局面にも全く無関心どころか、安いフォーミュラが出来たら入門者が増えると期待する声さえ多いが、それはさておき、FIAはFIA-F4のコンストラクターに関しては広く門戸を開いており、日本のコンストラクターも入札に参加可能だ。
来期用マシンの参加申し込みの期限は2013年8月31日だが、現在、これを書き殴っているのが8月20日なので、あと11日しかない。
私としては、何とか日本の力を結集して名乗りを上げたいとイライラの募る日々を過ごしているが、たぶん、日本国内で、この件に関してこれほどイラついているのは私一人だけだろう。

まあ、日本のレース界への不満は今まで言い尽くしてきたが、この自動車メーカーのサラリーマンとドライバーOB主体の日本のレース界は、ドライバーの育成だけが全てで聞く耳も持たないのは百も承知だが、それにしても、この日本の自動車レースの危急存亡の秋に、ここまで無反応無関心も信じられない気持ちだ。
しかし、童夢の社長からもJMIAの会長からも降りて自動車レースとは決別したつもりの私が、今更、思い悩む立場でも無いとは思うが、そんな私にも、東南アジア諸国と横一列なんて耐えられないほどのプライドは残っているし、日本の自動車メーカーのODAによって成長してきたヨーロッパのレース産業にこれからも貢ぎ続けるような環境はご免こうむりたいという気持ちも残っているから、やはり、月末の、FIA-F4参入の締め切りを目前にして私は悩み続けていた。
まるで、熱烈な片思いの彼女に洟もひっかけられないのに、うじうじと想い悩んでいるモテない男の気分だが、このまま放っておけば、必ず、日本の全ての入門フォーミュラ・レースはFIA-F4に寡占されることになるし、最早、母屋を取られつつあるSGTと合わせて、日本のレースは全て外国製レーシングカーになる日は近い。あと11日。いやはや、本当の恋に悩みたいものだ!

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