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Jan.01 2021 HAPPY NEW YEAR
昨年は、コロナ時代の隠居老人の割には様々な出来事がありましたが、一番大きな変化は、「童夢」と完全に縁が切れてしまった事でしょう。もともと、私が童夢の未来を託した現オーナーが投入してきたのが高橋社長でしたし、私も十分に話し合って承認しましたから、基本的に、私は高橋社長を支える立場にありました。しかし、レーシングカー・コンストラクターを引き継いだはずの現オーナーも高橋社長も「利益を上げてからレーシングカーを作る」というスタンスでしたから、「そんな悠長な事を言っていたらいつまで経ってもレーシングカーは作れない」という私とは、経営/運営方針には大きな違いがありつつも、高橋社長のビジネスに対する絶対的な自信に惑わされてもいましたし、経営権の欠片も無い私は横で文句を言い続けるしかないという状態が続いていました。もっとも、企業の姿勢としては、彼らの論理が正しくて私の暴走を煽る主張の方が間違っていることは自明の理でしたが、そうしないとレーシングカーを作るチャンスさえ無かったことも事実ですし、何とか童夢が生きながらえてこられた原動力となっていたことも事実です。
そんな訳で、レーシングカーを作らない童夢に私が出来ることは何もありませんでしたから、譲渡から2年後には、相談役も顧問も退いていましたが、それでも高橋社長とは変に気が合って、特に個人レベルでは仲良く付き合ってきましたし、童夢に関しても、いろいろと相談されたり愚痴を聞かされたりの関係は続いていました。

もともと、現オーナーと私とは旧知の仲でしたが、童夢の譲渡話が少し停滞していた頃に、間に入って熱心に仲立ちをしてくれた女史がいました。この女史は現オーナーとも私とも古い知り合いでしたし高橋社長を連れてきたのもこの女史でしたから、この四角関係はそこそこ縁深く、本来は協力し合える関係だったはずなのですが、何と、その女史が連れて来た高橋社長と女史の間で確執が芽生え始めます。
構造的には、女史としては、私と現オーナーとの譲渡話を纏めたのは私(女史)だし、社長(高橋)を連れてきたのも私(女史)だから私(女史)は童夢の要職にあるべきだという思い込みに加え、現オーナーの女史への信頼感が強い事を後ろ盾にして何かと童夢に干渉してくるので、全権委任を前提に、さっそく住まいを京都に移してフルタイムで経営に専念していた高橋社長からすれば邪魔な存在でしかなくなり、だんだん、その拒絶反応は臨界点に近づいていました。
私は、基本的に高橋社長を支える立場だったものの、不必要ないざこざは誰の利益にもならないので当初は丸く収めようと動いていましたが、その内、高橋社長の怒りが臨界点を超えてしまったのと、私から見ても、現オーナーの信頼を嵩に懸けた女史の介入ぶりが鼻についてきたので、このまま放置しておいたら高橋社長が辞めてしまうし、そうなったら、高橋社長の営業手腕だけで息を繋いでいる童夢の将来は絶望的(そもそも私は、営業努力だけで食いつないでいる状況を是認している訳ではありませんが、それも無くなれば何も無くなりますから)ですから、何回も現オーナーに女史の排除を訴え続けていました。
ところが、現オーナーは「解りました」と言うものの状況は改善されないままに2年くらい続いた頃には、全体構造からみれば、はなはだおかしな構図なのですが、高橋社長と高橋社長を支える私VS女史と女史を支える現オーナーという対立関係が生じてきていました。そして、いろいろいろいろあった後に、現オーナーが高橋社長/私か女史かを二者択一する状況が生じ、現オーナーが女史をチョイスしたので、結果、昨年の7月15日に高橋社長は退任となり、同時に私も完全に縁が切れ、その後は全く童夢に行ったこともありませんし高橋社長の後釜の人も知りません。
晴れて童夢は女史の支配下に治まりましたが、まだまだ、これからどこを目指すのか見えないものの、現オーナーとの最初からの約束通り、絶対に、意匠や工業所有権や現存の開発車両などの知的財産を散逸させないように健全な経営を心掛けていただきたいと願っています。

何とか我が国のレーシングカー開発技術の火を灯し続けることだけを目的に、いろいろと画策してきましたが、技術力で外国のレーシングカー・コンストラクターと戦うどころの次元の話では無く、真夏の炎天下で溶ける氷柱を眺めているほどに成す術も無く、改めて、日本に「童夢」が存在していた事は奇跡だったと再認識しています。
一縷の望みがあるとすれば、隠居老人の私のところに、レーシングカー作りを経験してきた技術者の人達から「レーシングカーを作りたい」という相談がちょくちょく来ますから、巷には、少数ながら、まだ、そういう志を持った技術者も存在します。
年明け早々、ある企業がレーシングカー開発の重要性を認識して会社として取り組む事を発表します。そこにさ迷えるレーシングカーを作りたい技術者たちが集まってレーシングカー・コンストラクターとしての活動を開始するという初夢を観ましたが、枕もとで木林の「パパ」と叫ぶ声で起こされましたから、その後、どうなったかは分かりません。正夢である事を信じたいと思います。






Nov.24 2020 「さようならネコちゃん!!」
また、半世紀以上の付き合いの親友が逝った。今年で3人目だが、なんか、これから知り合いがバタバタと逝ってしまいそうで寂しい限りだ。これは自分は長生きする前提での発言であり、私自身は、ずっと「もう3年です」と言い続けてきた謙虚さを忘れてしまっているが、根拠はない。ネコ(金古真彦)も半世紀を超える付き合いだったが、その間、通じてロスに住んでいたのに、それにしては思い出がたくさん有りすぎて、まるで隣町に住んでいた人のような錯覚を覚えるほどだ。
そのいろいろありすぎるエピソードの中から、急ぎ、思いつく話を書き綴ってみた。
>>Nov.24 2020 「さようならネコちゃん!!」


Dec.10 2019 「フォーミュラ・レースの裏と影と闇」
私が長年に亘って訴え続けてきた「日本の自動車レース産業を育てないと自動車レースの発展振興は有り得ない」という主張は日本のレース界には受け入れられませんでしたが、それには訳がありました。私が引退してレース業界から離れた今だから言える「フォーミュラ・レースの裏と影と闇」。
>>Dec.10 2019 「フォーミュラ・レースの裏と影と闇」


Nov.29 2019 「ブラジャーVSレーシングカー」まとめ
私の老後の夢と計画を全て叩き潰した元嫁との壮絶な紛争も、土台、生産性の欠片も無い空しいだけの時間ですし、何より、7年も戦い続けていると飽きてきます。しかし、怒りと悔しさが大きすぎるのでしょう、自分でも呆れるほどに闘争心は萎えません。それにしても、猿芝居のような裁判に負けたおかげで世間の誤解はますます拡散していましたから、事実を知ってもらうために上梓した「ブラジャーVSレーシングカー」ですが、販売はそこそこ伸びているものの、肝心の友人知人に渡しても「長すぎて読む気がしない」とか「面白くなさそう」とか岩波文庫と間違えたような評価ばかりで、なかなか読んで頂けません。
そこで、内容を1/10に圧縮したdigest版を制作するとともに、別途、そのもともとの原因となった「童夢と林の最後の夢」というプロジェクトについての解説も追加しました。
私の身に降りかかった他山の火事という見方もありますが、貴方にも、いつどんな火の粉が降りかかるかはわかりませんから、そんな時、こんな理不尽が通用する現実も司法の出鱈目さも知っておくべきですし、万一の時には絶対に役立つと思いますので、是非、ご笑覧ください。
以下に関連の資料をリストアップしておきますが、とりあえずは、「ブラジャーVSレーシングカー digest版」をお読みください。

●コラム「ブラジャーVSレーシングカー digest版」
第三書館版「ブラジャーVSレーシングカー」を約1/10に圧縮したdigest版です。
●コラム「ブラジャーVSレーシングカー副読本[童夢と林の最後の夢]」
元嫁との紛争の元の元の原因となり、また、その紛争が原因となり瓦解してしまった、私が人生の幕引きに向けて計画していた稀有壮大な夢物語とその後の顛末を説明しています。
●コラム「絶対に死なないスポーツカー」開発プロジェクト
「童夢と林の最後の夢」が破綻した後に、それでもクルマ作りを諦めきれずに、何とか実現してやろうと画策していたプロジェクトの説明です。結局、この計画も暗礁に乗り上げ沈没しました。
●書籍(林みのる著 第三書館より出版) 「ブラジャーVSレーシングカー」
この一連の紛争に関して私自身が執筆して上梓した本です。最も詳しく説明しています。
●書籍(丸山昇著 第三書館より出版) 「クラッシュ」「クラッシュⅡ」
早い時期に、この事件に興味を持ったフリーライターの丸山昇氏と第三書館がルポルタージュとして出版した本です。



Dec.25 2018 「ブラジャーVSレーシングカー」が出版されました。

これを因果応報と言うのでしょうか? 好き勝手に生きてきた我儘な人生の末路に降りかかってきた想像を絶する不幸な出来事については、私も以前から「信じる者は掬われる」という表題で実態を訴えてきましたし、第三書館から「クラッシュ」「クラッシュⅡ」というドキュメンタリー本が出版されていますが、「信じる者は掬われる」は当ホームページからの発信ですから訴求力に乏しく、「クラッシュ」「クラッシュⅡ」は第三者のライターの著作なので私の言いたい事を伝えきれていなかったので、隔靴掻痒な状態が続いていました。
この間に、元嫁との熾烈な戦いは裁判での敗訴が続いて、世間には、ますます誤解が拡がっていましたので、たまりかねて私自身の筆で真実をあからさまにする事を決意して執筆したのが「ブラジャーVSレーシングカー」です。
裁判や司法に関して考えが変わります。善良な隣人が牙をむき出しにしてくる恐怖はホラーそのものです。
ぜひ、ご笑覧ください。
「ブラジャーVSレーシングカー」 出版「第三書館」 林みのる著 定価1500円+税





Nov.30 2016やっと落ち着きましたので新居を紹介します。
長らくに亘るマンションの小部屋の幽閉状態は限界を迎えていましたが、暴発のギリギリのタイミングで新居が完成しましたので、そこに至る説明と共に、新居の全てをお披露目します。
>>Nov.30 2016 「やっと落ち着きましたので新居を紹介します」


Jan.01 2016 「2016年のいろいろ」
近年、私の人生では味わったことのない嫌な出来事が続き、今までも苦労の連続だと思ってきた私の人生が、いかに善意に包まれた安穏たるお花畑だったのかを思い知らされています。
何が変わったのかと言えば、今までの私は、なけなしの金を投じてルマンに狂っていた貧乏人ですから、近寄ると金をせびられると警戒されるのがオチでしたが、会社を売却したりして小金を持っていると思われた途端、金を取るための様々な甘言や悍ましい言いがかりが降り注いできて、今更ながら、世の中ってこんなのだったんだ!と驚いている次第です。
それはそれとして、そんなジャングルでの毒蛇や吸血ヒルとの戦いの合間にも、ワインを持ち寄ってのパーティやハンティング(魚ですが)などの休息の日もありますから、ここでは、そんな安らかな出来事だけをお伝えしておきましょう。
>>Jan.01 2016 「2016年のいろいろ」


Dec.26 2015 「クラッシュ」という本が刊行されました。

クラッシュ

以前、ホームページで「信じる者は掬われる」という表題で元嫁との壮絶な戦いを公表していましたが(現在は内容を更新して>>Nov.21 2019「ブラジャーVSレーシングカー digest版」となっています)、それを読んで興味を持ったルポライターから取材の申し込みがあった事をきっかけに、ルポライターの取材による独自の視線から、この事件の真相に迫るというスタンスのドキュメンタリー本の出版が実現しました。
>>Dec.26 2015 「クラッシュ」という本が刊行されました。


Jul.15 2015 「童夢の終わりと始まり」
お礼が遅くなりましたが、私の引退パーティ「童夢の終わりと始まり」には大勢のご来臨を賜り、ありがとうございました。>>Nov.21 2019「ブラジャーVSレーシングカー digest版」でお知らせしているような奇天烈な事件のおかげで、多くの友達と連絡が途絶えていますし、もとより、レース界では嫌われ者で通っていますから、500名の会場が埋まるかどうか大変に心配していましたが、予定外の方もたくさん駆けつけていただき、通算680名を超えたとの事です。
皆様のおかげで大盛況となりましたし、終わってからも、様々、お褒めの言葉をいただきましたので、最後の締めくくりとして有終の美を飾れたものと安堵しています。ありがとうございました。
>>Jul.15 2015 「童夢の終わりと始まり」


Jul.15 2015 「童夢ホールディングス」創立
童夢」譲渡後の受け皿として、私の会社を設立しましたが、ほぼペーパー・カンパニーのような会社です。
>>Jul.15 2015 「童夢ホールディングス」創立


Nov.30 2013 「Aloha from Hawaii」
「またかいな!」という声が四方八方から突き刺さってくるのが想像されてニュースとしてお伝えするのも気後れがしますが、こそこそするような事でもないので、堂々と4回目の結婚の報告をさせて頂きます。
ただし、4回目ともなりますと、単純に「おめでとう」では済まされない部分も多々ありますので、周辺状況からの説明というか言い訳というか、事情の説明にも耳をお貸しください。
>>Nov.30 2013「Aloha from Hawaii」


Mar.25 2013
「日本の自動車レースへの遺言状」+「日本自動車レース工業会 会員の皆様へ」
本文は、2012年8月31日付の童夢の「NEWS RELEASE」でお知らせしたように、本年の8月末日をもちまして、JMIAの会長職を辞任し、また、同時期に童夢の社長も退任することにしました私からの、レース界諸氏への辞任の挨拶であり、長らくに亘ってご協力いただいたJMIAの会員の皆様へのお礼でもあります。

特に、「日本自動車レース工業会 会員の皆様へ」は、残念ながら確たる成果は得られなかったものの、日本のレース界の中では、異例に長続きしていますし、理事の方々も熱心に出席されていましたし、目立たないまでも活発な活動を続けてきましたから、ぜひ、その実態を見て頂きたいと思い、主だった活動の内容をご紹介しておきたいと思います。
これだけ熱心に活動しても、そこここに溝や壁や落とし穴などが沢山あって、なかなか前に進めない現状には原因も事情もあり、詰まるところ、誰も発展振興を望んでいないという側面もありそうです。
そんなはずは無いと思われるでしょうが、何かのスイッチを入れれば明日から劇的に状況が変わるというマジックのような話は有りませんから、発展振興を望むなら、10年後にどうしたいかを考えて、その次に、その為にどうしたいかを考えると思いますが、この世界、10年先の日本の自動車レースの形をイメージしている人は居ません。
私と日本のレース界の間にも溝や壁はありましたし、どうしても交わることのできなかった水と油のような関係でしたが、私から見れば、私は10年先の話をし、レース界の人達は明日の話ばかりしていたから、もとより、違う話をしていたようなものです。
どうか、10年先の日本の自動車レースの盛況ぶりをイメージしながら私の話に耳を傾けて頂けば、今まで訳の解らなかった提言のかじりでも見えてくるかもしれませんので、ぜひ、ご笑覧いただければ幸いです。
【参考資料】
●文中のオレンジ色部分はクリックしていただければ展開できます。 注)構築中!!
●全ての資料は当時の内容のままですから、現状とは異なる部分もあります。ご留意ください。
>>Sep.06 2012「日本の自動車レースへの遺言状」 
>>Sep.06 2012「日本自動車レース工業会 会員の皆様へ」