COLUMN / ESSAY

2015 HAPPY NEW YEAR

明けましておめでとうございます。恒例の正月旅行はどこも予約がいっぱいだったので、少しずらし、年末はパラオで過ごしました。紺碧の空! コバルト色の海! 爽やかな浜風! 心地よい潮騒! ああっ! パラオのビーチは最高です!! って、まあ、この原稿を書いている時点ではまだ出発していませんが。

「潮時」

歳を食うと共に、デザインに対する意識レベルはどんどん向上して行くのに、それに反して実力が落ちていって落差が拡大しているにも関わらず、デザインを他人に委ねることをしませんから解決策はありません。
つまり、これを潮時と言うのでしょうね。私が60代での引退を決意したのは10年前の、えーーーーーーっと、思い出せません、ほら! あの60になった時の、赤いちゃんちゃんこを着て祝う、そうそう、還暦の頃でしたが、その頃は、まだまだ衰えを意識していませんでしたし、米原に新社屋を建設して意気軒昂でしたから、その頃にイメージしていた引退と言うのは、能力の低下と言うよりは、絶頂期に潔く退きたいと言う「カッコ付け」が主たる動機だったと思います。
しかるにその後、このような自らの能力の低下を思い知らされる出来事が相次ぎ、次第に、「カッコ付け」どころか、「カッコ悪い」終わり方をしない事が主旨となりつつありましたが、そこはそれ、私は私の終わり方のデザインを考えるようになっていましたし、それは、私の晩年に大輪の花を咲かせるような大仕掛けの幕引きとなっていました。

「遺作プロジェクト」

後に「童夢と林みのるの最後の夢」と命名したこの計画には、当然、公道を走るスポーツカーの開発も含まれていましたが、このように、自身の能力の低下を意識しつつも、一方で、自らの集大成と言える作品も残しておきたいという思いも募っていましたから、私の「遺作プロジェクト」と位置付けるスポーツカーの開発プロジェクトを考え始めていたものの、デザイン能力の衰退は止まるところを知りませんし、遅れれば遅れるほどデザイン・クオリティが下がるという強迫観念もありました。
だから、焦っていたのも事実ですが、何よりも、この気宇壮大な「遺作プロジェクト」という大仕掛けに要する予算が膨大だったので、今までと次元の異なる投資が必要でしたから、通常の方法での予算の確保は難しいという現実も有りました。
幸い、事業は好調でしたし無借金経営でしたから銀行から借り入れすることは可能でしたが、引退を前提としたプロジェクトで借金だけを残す訳にもいきません。当時、東レと子会社である「童夢カーボン・マジック」の譲渡について話が始まった頃でしたが、そこで私が考えたのが、童夢カーボン・マジック」を東レに売却して、その資金を投じて「遺作プロジェクト」に賭けるのが私の有終の美を飾るに最もふさわしいと考えるようになりました。
(注 「遺作プロジェクト(童夢と林みのるの最後の夢)」に関しては、10 Aug. 2022「童夢と林みのるの最後の夢」山口正己氏の寄稿から抜粋を参照してください)

「遺作プロジェクト」が破綻

その後、「ブラジャーVSレーシングカー 2-digest-」で説明しているように、元嫁との離婚に絡んで、それまでに相続対策として預けてあっただけの童夢や私の資産を「もらった物である」との主張を始め、それらの売却益のかなりの部分を収奪されてしまったので計画は頓挫のやむなきに至ってしまいました。
最後の一大プロジェクトが霧散してしまった今、その為に東レに売却した「童夢カーボン・マジック」は、現在、「東レ・カーボン・マジック」となり、昨年末の12/05には新工場を増設し、最新鋭の工作機械類が追加されるなど高度な生産設備が備わっていて、まるで異次元のレベルの企業に成長しています。同時に譲渡した「童夢コンポジット・タイランド」も数倍規模の工場を建設中で、そのものすごい躍進ぶりに目を見張ってるところです。

こうして、元嫁には追い出され、優良な子会社を売却したにもかかわらず目指していたスポーツカーの開発は頓挫し、歳と共に満足なデザインも出来なくなり、社内での様々な施策も空回りに終わる事が多くなり、それに輪をかけて、私生活の上でも、元嫁とのドロドロの裁判が始まり、気が付けば、晩年に大輪の花を咲かせるというよりは立ち枯れてしまったような悲惨な老後となっています。
こう言うと、とても不遇な状況に意気消沈しているように思われるかもしれませんが、そこは人生、巧くできたもので、これが老いと言うものなんでしょうか? 今は、残された童夢の継承問題や、引退のパーティの準備や、新たに建築する自宅の設計に追われる毎日ですから、それだけで手一杯で余裕の欠片もありませんし、これ以上は何もできません。

私は、自分で言うのも何ですが、いや、決して自慢とかじゃなくって、もちろん上には上が居ますし、いわゆる自他ともに認める客観的事実として述べているだけですが、異常にモテました。それが日常だったのに、60を過ぎた頃から、やや「男として見られていない感」を感じる事が多くなると共に、どんどんモテなくなっていきましたが、同時に、どんどん処理能力も低下していきましたから、つまり、需要と供給のバランスが絶妙だったために、まるで問題なく老人となっていきました。
今や逆転して、女性に誘われるのが億劫な領域まで到達してしまいましたから、最早、即身仏のような状態であり生きている価値すら無くなりつつあります。
まあ、このように、元嫁の強欲な反乱さえなければ、とても大きな打ち上げ花火と共に華麗なエンディングを演出できたと思いますし、実質的にも、これからの日本の自動車レースの希望となる大きな礎を置き土産に出来たと思いますが、もし実現していたら、この即身仏状態の私に何ができただろうかと考えると、正直、ほっとするところもあるくらいです。

「裁判」

さて、話は変わりますが、「ブラジャーVSレーシングカー 2-digest-」で概略を説明しているように、もともとは、元嫁の理不尽な要求が世間に歪んで伝播することを恐れて真実を詳らかにせざるを得ない状況がありました。
想像していただければ解ると思いますが、元嫁一族は一部上場企業ワコールの創業者一族ですし、元嫁の兄は地元でも有力者と呼ばれていますし、元嫁が自ら「名声があり社会的信用も高い(元嫁の答弁書による)」と豪語するように、地元での元嫁一族の力は強大ですから、その有力者一族と金の奪い合いをしている私が世間からどのように見られるかは自明の理ですよね?
ほとんどの人が、私が離婚に乗じて元嫁一族の金を取りに行っていると思われているのが現実ですし、誰も、名声高き(自称)元嫁一族が庶民である私の資産を収奪しているとは思わないでしょう。
こういう状況は体験してみないと解らないと思いますが、さすが、街を歩いていて石を投げられることはありませんが、生活上のあらゆる面で影響は大きく、行きつけの店でちょっと対応がおかしいと思ったら元嫁一族が来なくなると心配されていたり、弁護士や税理士なんかから仕事上差しさわりがあるからと断られたり、友人からも「元嫁ちゃんも参っているみたいだから、いい加減にしてあげたら」などと言われたり、連絡の途絶えてしまった友達は枚挙にいとまがありません。私にとってすれば、急激に世間が1/10に縮小してしまったような感覚ですが、だから尚更、汚名を着たまま退場する訳には行きませんし、世間に対しても私は私の正義をアピールしていかざるを得ないと思っていますし、それには、裁判によって白黒を付けるしかないと思いました。

動機はそうなんですが、裁判を始めてみて、元嫁側(の弁護士)の言い分があまりに稚拙で、なんじゃらほいという感じで肩の力も抜けましたが、この、元嫁側の弁護士の、まるで幼稚園児が「お前の母ちゃん出べそ」と言っているに等しい罵詈雑言や口から出まかせの嘘の羅列を、私の方の弁護士が反論するものの、雨霰と降り注いでくる誹謗中傷と嘘を糺しているだけに終始していて、全く争点が詰められない専守防衛的な対応は、まんま、元嫁側の戦略に乗せられているようでした。
しかし、元嫁側のワコールの代表顧問弁護士たる人物の有りもしない与太話をでっちあげての私への人格攻撃に全く意味が無いと思えないし、こんな明らかな悪口を判断材料とする裁判所もいい加減だし、キッチリと対抗しない私の方の弁護士の能力も疑問だし、何だか、その基本的な部分での不可解さと違和感が裁判と言うものの信頼を損ねつつありますし、大げさに言えば、日本の司法そのものが、とてもちゃちっぽく思えてきて、最後の拠りどころだと頼っていただけに、正直、戸惑いを隠しきれないというところです。

親友だった「無限」の本田博俊や「漢字検定」の大久保浩などの裁判を身近に見てきて、こんな善良な人たちが司法によって罪人にされて長期に亘って収監される事実を「嘘だろう?」という思いで見てきましたし、古くは「砂川事件」の裁判官も売国奴にしか思えなかったし(もちろん、当時は紅顔の美少年で何も知らなかったから、近年になってから知ったことですが)、光市母子殺人事件の弁護団の「ドラえもんが助けてくれると思った」等の発言には笑うしかなかったし、尖閣中国漁船衝突事件では那覇地方検察庁の次席検事の判断で(ということになっている)船長を釈放してしまったし、最近でも、PC遠隔操作事件で無実の4人が誤認逮捕され、しかも、その内の2人が自白させられている事実は驚愕しかないし、かねがね、日本の司法には疑問を抱いていたものの、こんな形でわが身に降りかかってくるとは思いも寄りませんでしたが、私としては、元嫁との争いもさることながら、この、近代的な法治国家であるはずの我が国における、あまりにもあやふやな感じの裁判沙汰という現象について、せっかくの機会だから、とことん付き合って、その実態を解明してやろうと思うようになっています。

「さいごに」

とまあ、今年の私は「引退」「童夢の譲渡」「裁判」「自宅の建設」など、雑多な用件に振り回されて忙しく過ごしていると思いますが、また、新しい船を購入して古巣の「新西宮ヨットハーバー」に置きますので、新春からは、暇を見つけては瀬戸内海をうろうろしようと思っています。 そして、7/16には、ついに「古希」を迎えますが、その前日の60代最後の日に、私の引退をお知らせする「中締めの大パーティ」を開催する予定です。

最後になりましたが、私たち夫婦は、昨年の11月27日で結婚1周年(正確には結婚式から一周年。入籍からは1年半)を迎えました。1回目も2回目の結婚も3年は保ちましたから、まあ、1年半くらいは大丈夫ですが、それにしても睦美は変わらぬ愛情をいっぱい注ぎ続けてくれていますし、仮住まいの小さなマンションですが、いわゆる「暖かい家庭」を満喫しています。
しかし睦美は、これが当たり前だと思っているようですが、現状は、弱ったライオンがたまたま棲家に居る事が多くなってきただけで、本来は、ジャングルを駆け巡って獲物を追い求める動物であることを理解していませんし、弱ったことが夫婦円満の理由と言うのも頂けませんから、時々、夜のジャングルに出かけて吠えてみたりしてみますが、もう、ウサギも驚いてくれません。
これを世間では遠吠えと言うのでしょうが、私の理想は、元気なライオンが突然に死んでしまうような終わり方ですから、あまり健康に留意し過ぎて中途半端に長生きするよりも、適当に不健康な生活を送るように心がけています。だから、不健康関係のお誘いは大歓迎ですからいつでもお声掛けください。
とりあえず、まだ今年は生きているつもりなので、本年もよろしく。

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