COLUMN / ESSAY

「40㎡からの脱出!第2の仮住まい開始」

童夢を創業するまでのしばらくを過ごしていた山之内(京都)のシャトー・ドゥ・ポアッソンは、父が関係していた会社が建設したもので、廊下を部屋にしてしまったり内装を全てオレンジにしたり好き放題していたし、友達を優先的に住まわせていたので全館友達だらけの楽園だったから、この時代、私は随分と堕落したものです。
その後は、初めての一軒家を建築しようと土地を探し始めましたが、なかなか気に入った土地が見つからなかったので、ターゲットの松ヶ崎地域の友達のマンションに仮住まいしてじっくりと探そうと思う内、なんだかんだと2年間も居着いていましたので、マンションとの相性は悪くは無いようです。
しかし、当時は遊び仲間も集まってきますし、クルマもたくさん持っていたので、広い部屋と大きな駐車場が必要でしたから、土地を探し続けていたところ、やっと、修学院離宮の奥に145坪の土地を見つけて、間取りや外形はもちろんのこと、照明やドアノブや電気類のスイッチパネルに至るまで拘り抜いてデザインした家を建てました。
そのお気に入りの修学院には長く暮らしていましたが、その後、元嫁家が下鴨の鴨川沿いに建設した200坪の土地に延床150坪3階の建物に転居させられ約9年余りを過ごした後、昨年(2012年)、急に追い出され、12坪のマンションに独り住まいすることとなりました。
たまたま知り合いのマンション・デペロッパーから頼まれて、転売目的で売れ残りの小部屋を買っていたので、そこで1年を過ごしつつ、その時、元嫁に不当に占拠されている宝ヶ池の童夢旧本社を取り返して終の棲家にしようと思っていましたが、しかし、思いもかけずに、なかなか宝ヶ池の童夢旧本社を取り戻すのが難しく、小部屋での窮屈な生活が1年も続いてイライラが募っていました。かと言って、宝ヶ池に住むつもりの私は新居を立てる訳にはいきませんから、とりあえず大きなマンションに移ろうと思いましたが、気に入った新築のマンションは全て売約済みと断られている中、そこそこの部屋が1部屋だけ売りに出ていたので、手元の現金を掴んで直ちに販売事務所に駆け込みましたが、21人で抽選とのこと。
こりゃダメだと思って帰ろうとした時、ふと受付の壁を見ると経営主体として良く知っている会社の名前が掲げてあったので、早速、そこの偉い人に電話をして「今、おたくのマンションを買いに来ているが抽選らしい。何とかならないか?」と聞いたところ、15分後に電話があり、買える事になりました。
喜んでいたら、担当者が「もう一部屋キャンセルの出た物件があるので、お安くしておきますからいかがでしょう」と勧められ、それも購入し釣り道具部屋に使うことにしました。

購入時点で既に完成していたので部屋の造作とかは変更できませんでしたが、梁の高さとかスイッチ類の位置が不適切だったり、とにかく、家具がキッチリと治まりません。さんざん探し回りましたが適当なものが見つからなかったので、京都でも一番高いと言われている「arc」という家具屋に、しかも全て特注して揃えました。小さな家なら一軒建ちます。
食器は「三代 澤村陶哉」に特注、グラス類は「ラリック」、和室の襖紙も「渡」さんに特注し、和室の机は坂本龍馬をかくまったことで有名な「酢屋」の倉庫を探しまくって切り出してもらった銘木を使っています。
いずれ家を建てることになるだろうからと、軽く仮住まいのつもりでこれですから、気が付けば、ちょっこらちょいと転居できないくらい凝りまくっていました。
元嫁との戦いがいつまで続くのか予測もつかなくなってきましたが、しばらくはここで暮らすことになりそうです。

では、新居をご案内しましょう。

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