COLUMN / ESSAY

「SUPER GTお前もか! 外国崇拝の続くレース界」 -レース界評論-

SUPER GT第8戦もてぎは、幸い、天気は維持して観客の入りもそこそこだったようだが、私は、そこでいろいろな人と話をし、いろいろなニュースや噂話を聞いている内に、だんだん気分が落ち込んできて、レーススタートの頃にはサーキットを後にした。
私には、それらの話のほとんど全てが理解できなかったし、もしそれが正しい情報であったとしたら、そこは私の居るべき場所では無いと思えた。
もっとも、日本のレース界は昔からそういうところだったから今に始まったことでは無いものの、近年、特にそのような傾向が顕著になっているようで、日本の レース界は、ますます私の望む方向とは反対に向かって加速を強めているように思える。
今までも、GTに特定の外国製ギアボックスを指定したり、FCJやFNに外国製のシャシーを導入したり、FNやGTに外国製のハイブリッド装置を導入しょうとしたり、とにかく、日本のレース界の人間が、したり顔で話を始めると、それは必ず、物やシステムの輸入の話であり、それしかない。
だから私は、そのような流れを少しでも国内の方に向けることによって、日本の技術と産業を育成し、その結果として日本の自動車レースが発展する方向に誘導しょうと努力を続けてきたが、まあ、今回のもてぎのサーキットで私だけが全く違う事を考えていたし、外国万歳のこの世界で私の言葉に耳を傾ける人はいない。

日本自動車レース工業会は、今年から、GTAからの要請に応じて技術面からのアドバイスなどを中心に側面からの支援をすることになったので、レギュレーション問題などに関してのお手伝いを始めているが、昨今の中心的な課題は海外の類似カテゴリー(DTM)の導入方法についてであった。
DTMについてはかなりのリアリティをもって進められていたようで、ITRの関係者も頻繁に来日するなど、一時は、今すぐにでも始まりそうな勢いだったが、両者の話にはかなり我田引水的な食い違いがあったり、混走させるための技術的な問題点も多々あったので、そんなに簡単にまとまりそうな話では無かった。
その内、ITR側から巨額の参加料の話が出てきて、瞬間的にこの話はご破算になったと思っていたら、その後も水面下でごそごそと根回しが続いていたようで、今回のもてぎで、またぞろゾンビが復活してきたという訳だ。

公表されていないことが多いので、ここで詳しい内容を暴露する訳には行かないが、そもそもDTMなんて、初期のDTM(Deutsche Tourenwagen Meisterschaft)が崩壊してITC(International Touringcar Championship)になり、それも崩壊して、第2期DTM(Deutsche Tourenwagen Masters)として復活したレースであり、そもそもDTMの名前が異なるというインチキレースだ。またぞろ風前の灯になっていたところに、BMWが参加してくれる事になって、やっと息をつないだというふらふらのレースであり、比べて、18年間に亘り安定的に開催を続けているSUPER GTとは比べ物にならない脆弱なイベントである。
それが、対等に話をしようと言うのがそもそもおこがましい上に、巨額の参加料を要求したり、部品を買わせようとしたり、GT500と同等以上のパフォーマ ンスを条件としたりと考え違いもはなはだしいのに、そのDTM様を日本にお招きすることに奔走努力しているITRの走狗のごとき日本人レース関係者もいて、こんなバカげた話もなかなか消えてはくれない。
日本側からITRに提出される書類の表記をとってみても、それはそれはへりくだった表現方法で、その心根から推測するに、軒先貸して母屋を取られるのは時間の問題だ。一切、手を触れてはいけないFIA-GT3や海外の技術ベースのDTMが増えれば増えるほど日本の技術分野は疲弊しレース産業は衰弱していく。

以前から、日本自動車レース工業会がGTAに提案しているのは、これだけ長きに亘り安定的に継続してきた日本のトップカテゴリーに自信と誇りを持てという事である。
ヨーロッパの都合でころころ姿を変えてきた脆弱なレースとは一線を画して構えるべきであり、GT3やDTMの導入に画策するよりも、SUPER GTをアジアのメインカテゴリーとして普及させるというくらいの夢と希望を持つべきだ。
それにしても、どうしてサーキットには盲目的な外国崇拝者が多いのだろう? 侍が山高帽で踊っていた鹿鳴館時代にまで遡れば理由が見えてくるのだろうか?

林みのる

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