COLUMN / ESSAY

「愚かなり、Formula Challenge Japan(FCJ)」 ―また外国製―

実は、FCJの構想は、私がホンダに提案した「フォーミュラ・ドラゴン」という企画書から始まっていますが、いつもの通りシャシーは外国製と決まり、いつものように予算不足で崩れだし、私が、それを見越してJAF-F4に相乗りする提案も無視したまま崩壊してしまいましたが、一部の自動車メーカーは独自にJAF-F4を利用しています。

この最初から最後までを一気通貫に企画書として残していますから、それを読んで頂けば、このJRPという人たちのぐたぐた具合が良く解っていただけると思います。

「フォーミュラ・ドラゴン(2005)」「フォーミュラ・ドラゴンの最後(2005)」「FCJ NEXT STAGE(2008)」「FCJ NEXT STAGE 2(2010)」「FCJ NEXT STAGE 3(2011)」「FCJの現在、過去、未来(2011)」を掲載していますが、まず、総集編である「FCJの現在、過去、未来」を読んで頂けば全容が解ると思います。

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