COLUMN / ESSAY

「今日、S-GTは自動車レースを捨てた。」 -レース界裏話-

14時15分、今年最初のGTレースがスタートした直後、私はそっとサーキットをあとにした。
久しぶりのサーキットだったから、親しい人の顔に溢れウキウキするような気分もあるものの、今回はなんか、みんなの魂が離脱しているような、本当は知らない人が特殊メイクして知人を演じているような、すごく落ち着かないような、ここに居るべきでないような、とてもおかしな感覚に苛まれていた。
土曜日の夜のキックオフ・パーティでも、「予選惜しかったね」、「頑張ってね」、「明日は大丈夫だろうな?」、「暖かそうなのでタイヤが心配です」など、 関係者の集まりにも関わらず普通のレースの前夜のような会話が平然となされていて、とても強い違和感がまとわりついてくる。なにしろ、とても居心地が悪い。

今回のレースは、GT-Rがポール・ツー・ウィンすることになっている。つまりヤラセだ。
だから、一般ファンはともかく、関係者はそんな真剣勝負みたいな盛り上がり方をしなくても良いはずなのに、これって演技してるの? マジなの? 素人芝居のエキストラをやらされているような気恥かしさが居心地を悪くしているのだ。
SUPER GT は旧JGTC 時代から、科学的論理的とはいいがたいレギュレーション変更を繰り返してきた。簡単にいえば、前年度速いマシンがあると、もっともらしい理由を付けて遅くして性能の均衡化平準化を図ってきた。しかし、このもっともらしい理由も稚拙なものだから、いかにも理不尽で不公平なやり口だったし、06年などは、その基本的な車両レギュレーション変更においても調整が追いつかないと、スポーティングルールまで変更して、特別性能調整なる複雑怪奇な手法を駆使してまで「性能の均衡化」に腐心してきた。
JAFやGTA は、これらの安直なバランス調整によって今日のS-GTの繁栄があると信じており、あれほど関係者から問題視され1年で撤廃されたGT500 特別性能調整なる手段を、またもや違う形で再導入してきた。
SGTCの関係者は、よく自嘲的に「SGTC はプロレスだ」と言うが、本気でギミックだと思っているなら、安直な性能調整を続けて自動車レースもどきを演出するのも勝手だが、それならそれで開発行為も制限して参加者に無駄な負担を負わない事にも留意すべきで、現状は、はなはだバランスに欠く自動車レースを冒涜する愚かな行為である。

昨年、鳴り物入りでGT-Rが再登場した。この車は過去にツーリングカー・レースで49連勝と言う金字塔を打ち立てて伝説になった車だから、SGTC でも負ける訳にはいかない。
ここからは、どこまでが戦略なのか偶然なのかは想像するしかないが、まず昨年、09年から実施される総体的には現行規定よりやや不利になるレギュレーションが発表された。
しかし、関係者間でどのような話し合いがもたれたのか知らないが、なぜかGT-Rだけが、08年から、09年レギュレーションのメリットの部分だけを採用した、つまり、良いとこ取りのマシンでの参加が認められることになった。特認車だからOKということらしいが、このままでは2秒以上は速いと思われるので、当然、何らかの性能調整がなされるものと思っていたら、関係者間でどのような話し合いがもたれたのか知らないが、ノーハンディでの登場となった。つまり、ポール・ツー・ウィンが約束された訳だ。
もっと不思議なのは、あの悪評高かった特別性能調整が復活したことだ。魚介牛豚野菜の出汁が重層的に複雑に絡み合ったニューウェーブ・ラーメンのように、一口食べただけではさっぱり何の味か分からないような難解な味わいは、以前にも増して奥深くなっている。
今回の特別性能調整は、一口で言えば、最初の2つのレースで特定の車種が一定以上の速さを示した場合、シーズンを通して最大60kgのウエイトハンディを積むと言うものであるが、まあ、こんなルールを完全に理解し頭の中で修正値を代入しながら特定のマシンを応援できるようなファンも居ないだろうから、以下の説明部分は読む必要も無いが、一応、要約すると下記の通りである。

  1. TNH各社の参加車両の決勝レース中のベスト10LAP の平均値を算出し、車種毎にグループ別けし、この平均値が最も少ない(速い)クルマを各車種の代表車とする。
  2. 全車中ベスト10LAP の最速車が優勝し、尚且つ優勝車と同一車種が2位もしくは3位に入った場合は、当該車種は全車、Rd.2より特別性能調整ウエイトなるハンディキャップを 背負う事になる。ウエイトの計算方法は、優勝車のベスト10LAP 平均値と、最も遅かった車種の代表車のベスト10LAP平均値のタイム差を用い、パーセンテージ計算する。
    計算結果によるウエイトの割り振りはRd.1鈴鹿において0.17%あたり10Kgとされ、例えば平均値LAP差が約1秒の場合で50Kg程度のウエイトとなる。ちなみにこのウエイトはシーズン中下ろすことができない。
  3. 上記条件がそろわない時、つまりベスト10LAPの最速車が優勝しなかった場合、もしくは、最速車が優勝したが、同一車種が同時に2 台表彰台に載らなかった場合、性能調整はRd.2まで持ち越しとなる。
  4. Rd.2まで持ち越しとなった場合であるが、Rd.1での各車種代表車と代表車種中最遅車との差分におけるパーセンテージを車種ごとに計算する。代表車が3車種中最遅車であった車種のパーセンテージは0となる。同様の計算をRd.2においても行うがRd.2においては、Rd.1の成績により本特別性能調整と別の通常のハンディーキャップウエイトを搭載されるので、搭載された車両は10Kgあたり0.13%の補正値を与えた状態をその車両の計算基準とし、各車種グループ内での代表車を選定する。従ってRd.1の代表車(最速車)とRd.2の代表車が必ずしも一致するとは限らずまた、Rd.2では上述の補正値が加わるためグループの最速車が代表車になるとも限らない。
  5. 4.で計算されたRd.1とRd.2の各大会における3車種代表車によるパーセンテージの平均値を求めこの値を持って各車グループごとの代表値とする。この 代表値が最も小さい車種が最遅車とされ、最も大きな値の車種が最速車とされる。最も大きな代表値を持つ最速車種は最遅車との差分に応じ0.15%あたり 10Kgのハンディーキャップウエイトが決定される。この計算割合はRd.1、Rd.2の平均値で約1秒程度速かった場合50Kg程度のウエイトとなる。 Rd.1で最速優勝したがRd.2で非常に遅いとウエイトは半減される可能性がある。
  6. 5.で計算されたRd.1とRd.2の各大会における3車種代表車によるパーセンテージの平均値を求めこの値を持って各車グループごとの代表値とする。この 代表値が最も小さい車種が最遅車とされ、最も大きな値の車種が最速車とされる。最も大きな代表値を持つ最速車種は最遅車との差分に応じ0.15%あたり 10Kgのハンディーキャップウエイトが決定される。この計算割合はRd.1、Rd.2の平均値で約1秒程度速かった場合50Kg程度のウエイトとなる。 Rd.1で最速優勝したがRd.2で非常に遅いとウエイトは半減される可能性がある。

GTAの資料があまりに難解なので、開発担当の中村に要約してくるように命じたら以上の文章が出てきたが、まだ難解なので、もっと解り易く説明しろと言うと、「実は私もまだ理解できていません」という事なので理解はあきらめた。
だから、これが素晴らしいアイデアなのか、稚拙な数字のお遊びなのかは理解の外だが、要するに、第一戦で1,2フィニッシュした途端に今年のチャンピオンの権利を喪失することは確実なようなので、これで真剣勝負をしろっていう方が無理だろう。もっとも、何の縛りも無い予選でもNSXは50Kgのハンディが効いて止まりも加速もしなかったから、もとより真剣勝負にもならないが。

しかし、デビューウィンを宿命づけられているマシンにとっては、みんなが遅く走ろうとする第一戦は、はなはだ都合のよい展開であり、以後の60Kgのウエイトさえ甘受すれば、ただ普通に走っていれば自動的に優勝するという算段だ。
もともと2秒以上のアドバンテージのあるマシンだから、この60Kgのハンディも致命傷にはならないし、この60Kgを最初から受け入れることにより、本来、有利な09年レギュレーションに課せられるべきハンディからも逃れやすくなる。

もし、NSXがこのレースに正々堂々と勝負に臨み、首尾よくポール・ツー・ウィンを成し遂げ1,2フィニッシュでもした日には、24点のポイントと引き換えに、60Kgの特別性能調整、10Kgのポール賞、50Kgの優勝ウエイト、合わせて120Kgものウエイトが副賞として付いてくる。しかもこの内60Kgはシーズン中何があっても降ろせない。ちなみにNSXは、昨年のチャンピオン獲得の副賞としての50Kgがあるので合計170Kgとなり、シーズン中下ろせないウエイトは110Kgとなる。つまり、NSXは、開幕戦にポール・ツー・ウィンを果たした瞬間、事実上 2008年のタイトル争いの可能性はほぼ無くなるという事だ。
例年と同じく追加ウエイトの上限は100Kgと決まっているが、今年に関してはこれを越す重量の場合は重量換算によるリストリクターの小径化を施すといった念の入れようだ。

かくしてGT-Rが優勝することはモナド論でいうところの予定調和みたいなものだったが、この場合の神の意思とは、いったい誰の意思だったんだろう? その神のしもべとなりGT-Rを勝たせるシナリオを作り上げたのは誰なんだろう? そして、その神の意向を忖度してGT-Rの完全勝利を絶賛するジャーナリズムがGT-Rの復活神話を確かなものにしていく一方で、本物の勝者はますます見えにくくなり、技術力より悪知恵のほうが勝利には欠かせない要素になっている。
このシナリオを理解しているはずのレース関係者の「マジ」にレースに取り組む姿勢が、本気なのか演技なのかも怪しいまま、本来は、この心躍るスペースは、なんとも居心地の悪い場所になってしまった。
今日、S-GTは自動車レースを捨てた。

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