COLUMN / ESSAY

「地獄の免許取得体験記」 ―強い憤り―

昨年の暑い頃、私はストレスが体中に充満しきっていて、どこかにちょっと穴があいたらそのまま破裂してしまいそうだったし、血圧が上がりすぎて頭がくらくらするし、脳梗塞が再発しそうな勢いだった。
本能的にこのような状況を想像していたので、なるべく回避できるようにあれこれ努力を続けたが、他に方法が見つからなかったので、つい、この伏魔殿の扉を開けてしまったのが間違いの元だった。

簡単にいきさつを説明しておくと、私は二十数年来、アメリカのドライバーライセンスから発行する国際免許で運転していた。これはDOME USAがあった頃に正規に取得したもので法的にも問題はなかったが、不正に外国免許を取得して国内で運転する人が後を絶たないので、2002年に道交法が改正になり、当該の外国に30日以上滞在した人でないと、この国際免許で国内では運転できなくなってしまった。ある日突然、私は無免許になってしまった訳だ。
また、アメリカに90日以上滞在していれば事務手続きだけで日本の免許に切り替えられるようになるのだが、運悪く、頻繁にアメリカに行っていた頃のパスポートを二冊紛失していて、この間の8年間ほどの記録がなく、この90日の証明ができない。
外務省にも問い合わせたが、免許取得という理由では記録を調べることはできないと言われ、全ての道は閉ざされてしまった。

仕方なく試験場で免許を取得する事にした。一般的に、試験所は難しい難しいと言われているが、それは運転が始めての初心者にとってのことであり、もう40年以上も毎日のように運転していて、しかも一部では車を造るより運転のほうが上手と言われている私には当てはまらないだろうと思っていた。
しかし、かなり特別な世界であろうことは想像に難くないので、念のために、実際に試験を行うコースで教習を受けることにしたところ、この教官から驚くべき言葉が返ってきた。私が完璧と思う運転で出発点に帰ってきた時に、その教官は「途中で降ろされないまでも、受かろうと思えばまだまだ練習が必要ですな」だって!!
私は「ほんと??」と絶句してしまったが、とにかく、日を改めてもう一時間練習をしたものの、相変わらず教官は「まだまだ無理ですな」って、今まで免許を持っていなかった人が始めて受験する、それも仮免の実技試験で、何で私が落とされなくてはならないのと半信半疑のまま、とりあえず受験してみようと思っているうちに体調を崩して中断していたが、そろそろ再開と思ってこの8月から本格的に受験作戦を再開した。

事前に「普通免許 超速合格テクニック」なる本を買ってきて一読してみたら、あまりに訳のわからない出題が多く、こんなはずはないと、試験場の前に実際に出題されている問題集を売っている店があると言うので買ってきたが、これが輪をかけて難解だ。
いわく「二輪車に乗るときは、腕を張り出し脇をしぼるのがよい」一体、どんな姿勢じゃ?「ブレーキをかけながら、ハンドルを切るのはいけない」と言い切れるのか?「すりへったタイヤの方が地面と路面のとの摩擦が大きくなるので停止距離が短くなる」これは×か?「警察官が腕を水平にのばしたときは、身体の正面に並行する方向は青と同じである」身体の正面に並行ってどっちだ?「車の緩衝装置はシャシバネを用いる」これが○なんだが、何なんだ?「まがり角でハンドルを切ったままブレーキを踏んでも、車はハンドルを切った方向に進む」が×なら車はどちらに進むんだ?「高速自動車道路には信号や踏み切りがないので一般道路よりも燃費が少なくて済む」が×な訳がないだろう。「自動車賠償責任保険証だけを携帯しておけば、任意保険証は他の安全な場所に保管しておけばよい」これは×となっているが、個人が任意で加入している保険の証書をどこに置いておこうが勝手ではないのか?しかし、これは試験の時には×と書かなければならないと見えてしまっている。また、問題に「やむを得ない場合」という表現がさかんに使われているが、やむを得ない場合にはやむを得ないのであって、この言葉を使う以上「問題」にはならないと思うのだが、ここでは「やむを得ない場合」でも、しなくてはならない事やしてはいけない事がいろいろあるらしい。この世界では「ひっかけ問題」と呼ばれているらしく、つまり、まともに出題したら正解率が高すぎるので調整用のひねりなんだろうが、まったく、問題を考えた人のレベルの低さが隅々にまで行き届いたお寒い内容に驚くばかりだ。内容と言うよりは、そもそも表記の仕方があまりにも稚拙で、題意を推し量ることから始めなくてはならないから徒労感が付きまとう。

まあ、仮免の学科試験はパスして、合格者を発表する電光掲示板の横の説明どおりに⑥の窓口で受験票を返してもらい、また、その指示に従い「技能試験待合所」というところで待っていたのだが周りに人が居ない。心配になって近くの窓口で聞いてみると、その場所で待てとのこと。しかし、あまりに様子がおかしいので、今度は違う窓口に行くと「技能は⑰だ、もう始まっているぞ」というので慌てて駆けつけると説明半ばで、これで既に試験官の印象悪し。電光掲示板の横の説明とは異なるが⑰に行けと指示する書類も存在しているから、これも二重表記だ。
そして試験場で集合となったが、その試験官が最後に言った「では2番で」という説明を②の窓口に行くものと理解した私がそちらに向かうと閉まっている。誰も居ないので、またまた不安になってきた私は、再度、近くの窓口の人に聞くが「技能試験待合所」で待てとのこと。
とにかく、さきほど一緒に説明を受けた人達が見当たらないのがおかしいので、あっちこっちきょろきょろしていたが、かなり時間が過ぎた頃、試験官が「林さん、②って言っただろう!!」と怒りながらやってきた。
どうやら②というのは、試験コースのスタート位置の番号だったようだが、私も、あちこちとうろうろさされていたから「もっと明確に伝えろ」とか文句を言いながら試験車に乗り込んだものだから、後で考えると、こんな横柄な受験者が受かるはずも無い試験だった。

それにしても、真夏の炎天下、コース図を片手に指示されたコースを覚えるために歩いている人達の真摯な姿には感動を覚えるが、一方、「何でこんなことをしなくちゃならないのか?」という単純な疑問を持たないのだろうかと不思議に思えた。
そもそも、このコースが何種類もあること自体が意味不明だ。その上、試験中に試験官はコースを教えないことになっているという。なぜ?
事前の教習のときに質問してみたら「コースを知っていないと、事前に方向指示器を出したり走行車線の変更が出来ない」とのことだそうだが、実際には知らない道を走る事も多いのに訳の解らない理由だ。

思いっきりむかつきながら初めての実技試験が始まった。もちろんだが、試験前にコース図を目で追いながら覚えた順路は間違うことなく、自分自身ではほぼ完璧と思える走行が終了した。
私にとっては、とても辛くて長くて不愉快な時間がやっと終わると思った瞬間、横柄な試験官の声が聞こえてきた。「安全確認不足、右左折時の路肩への寄せが甘い」などの理由で不合格と言う結果だったが、私は全く納得がいかないものの、試験前から既に問題含みの不愉快な受験者ではあったし、最初は絶対に通らないという定説も聞いていたから、まあ、仕方ないだろうという気持ちで次の試験日である二日後に再挑戦することにした。
2回目。今回も自分では完全無欠と思える走りながら不合格となった。いわく「安全確認不足、曲がり角の大回り、コース取りが甘い、曲がるとき良く見て」などが理由らしいが、しかし、私も合格するために必要以上に首を捻じ曲げているし大袈裟に停止しているから、何を基準に合否を決めているのか解らないし、もとより、運転歴40年を超える超ベテランの運転に文句があるのなら、一体、どんな初心者がこの試験をパスするというのだろう。

具体的な減点理由や該当場所や点数などは聞いても答えられないというのも理由が解らない。ここの試験官が望んでいる優良な運転とは、いわばお茶のお手前や日本舞踊のようなもので、意義や意味よりも、決められた形をいかに忠実に再現するかという様式美の追求と言えば聞こえは良いが、ここに、運転技術の向上や安全確保への取り組みは全く見られない。
もう私は意地になっていた。ここが、かなりの伏魔殿であることに気がついてきたが、そうなると怖いもの見たさ、もう少し実態を確認してやろうという気持ちになっていた。

3回目。またもや走りは完璧ながら不合格。いわく「安全確認不足、外周のコーナーの速度が速すぎる」、毎度おなじみの安全確認不足だが、エクソシストじゃないから真後ろまでは首が回らないまでも、必要二十分くらいの演技はしているつもりだ。外周コーナーの速度についても、受験者の1人が「あそこは25Km/h以下で走らないとダメなんですよね」といっていたが、一般的なコーナーであれば法定速度内で走行すればよい訳だし、どうしても25Km/h以下で走ってほしければ速度指示標識を設置すればよい。「法的根拠が無い」と反論すると「ここではそう決まっている」とのこと。
また、「走行中に不必要なからぶかしが多い」と指摘されたが、どうやら、ストレートからコーナーに侵入する際の4速から2速へのシフトダウン時のブリッピングのことらしい。まあ、試験場でヒールアンドトゥをする方が悪いのかもしれないが。
試験は奇数日に行われるので、隔日連続4回目の受験。まじめな人は真夏の炎天下にもかかわらずコースを歩いて覚えようとしている。その上、室内に待合室があるにも関わらず暑い試験車の発着所で長いときは一時間以上待たされる。いつ呼ばれるかわからないし、その時居なければ試験官の心象を悪くするので離れられないのだ。
この日は珍しくコースを間違った。当たり前だがそれ自体は減点対象にはならないのでコースに復帰。しかし、外周路に戻る時、遥か彼方の最終コーナーから車両が進入してくるのが見えた。試験的には迷う距離だが、あまりに遠かったので外周路へ進入したとたんにバンとブレーキを踏まれて試験中止となってしまった。

私は、この4回目まではなんとなく伏魔殿散歩みたいな気分もあったし、噂の理不尽さを体験することにも興味を持っていたが、なぜか今回は心底むかついてきた。
まず、所員の対応があまりにも横柄で、それがここの性格を如実に表現しているようだ。例えば、試験の終了後は降車して歩道に立ち助手席の試験官から結果を聞くことになる。助手席に座ったままの試験官は、ひざの上のチェックシートを見ながら総評と結果を伝えるが、なぜか必ず小声でぼそぼそと話すので、自然に受験者はかがみこんで聞き耳を立てることになる。その様子は、まるでぺこぺことへつらっているようで無様だ。私のように、突っ立ったまま「聞こえん!」と威張っているような受験者を彼らは生理的に受け付けないんだろうな。
つまりこの、内容もサービス精神も合理性も必要性すら無い運転免許試験場の実態というものは、自動車教習所にお客を回すためのシステムに他ならないということなのだ。
そのために存在しているのなら、ここでその試験内容の不備をとやかく言っても始まらない訳で、どうしても諦めない奴にしぶしぶ合格させてやっているというのが実情だろう。

ここまで来たんだから、免許は取得しておこうと5回目の実技試験に挑み、どう考えても文句の付けようのない完璧と思える運転をしたつもりだったが、試験官は「だいぶ良くなったが、もう少しだね」・・・こいつら何を考えているんだ? 免許試験が難しいかどうかは別問題として、もともと、初めて運転を経験する初心者を対象とした、それも、ほんの入り口の仮免許の実技試験に、運転歴40年以上のベテラン運転手が5回も落ちることが異常である。
あんまり頭に来た私は、審査基準を明示しろと要求したが、試験官の答えは「練習場でもっと練習してもらうしかありませんな」ということなので、私としては、精神健康上、もうこれ以上ここには関われないと悟り、敵の思惑通りというのはなんとも腹立たしい限りだが、あえなく撤退することにした。
やはりここでも例に漏れず、官財の癒着構造にまで遡らないと問題は解決しそうに無いが、この私が5回も落ちる試験は、ずばり、自動車教習所に客を回すシステムだ。ほとんど誰でもが免許をもらえる教習所とのアンバランスさはいかにも不自然で、5$1時間で済んでしまうアメリカの免許システムを引き合いに出すまでも無く、日本では、この免許の交付をいかにお金にするかという究極のシステムが構築されていると言う訳だ。
まったく日本という国は、福祉でも年金でも何でもかんでも金と利権を絡ませずにはいられないらしく、どこまでも、さもしい根性が透けて見えて背筋が寒くなるが、特に、この運転試験所が問題になりにくいのは、一生に一度か二度来るだけの一過性の出来事であり、免許さえ取ってしまえば思い出したくも無いところだからあまり問題になりにくいのだろう。

途方に暮れた私は、アメリカのライセンスを所持しアメリカに90日以上滞在していれば日本の免許に切り替えられるというルールに36日足りない分をラスベガスで過ごす計画を立てていたが、いざとなると面倒で先送りが続いていた頃、私や松本恵二がよくいく飲み屋のバイトの娘が「教習所はどこがいいでしょうか?」と聞くものだから、思わず「一緒にがんばろうね!」と約束してしまい、一緒に自宅の近所の「宝ヶ池自動車教習所」に入学することになった。
しかし入学して解ったのは、入学日が同じでも、その後は自由に授業時間を選択できるので、クラスメートといえどもほとんど顔を合わさないという事実であり、現実、その一緒に頑張るはずのバイト娘とは二度と顔を合わさなかった。

自動車教習所に関しても文句を言い出せばキリも無いが、最大最高に驚いたのが適性検査というペーパーテストだ。単純な数字を足したり引いたりのIQテストのようなことが続いた後に、テープから流される質問に〇×で答えるという検査が行われたが、その質問内容が想像を絶した。いわく、「貴方はどんな法律でも守ることが正しいと思いますか?」から始まって、おやっと思いながらも適当に〇×をつけていたら、「近所から時々変な音が聞こえますか?」とか「身近にスパイと思えるような人が居ますか?」ときたもんだ。
それからも戦時中の思想調査のような質問が続いたが皆さん熱心に鉛筆を走らせている。何の疑問も感じていないようだが、さすがにこれらの質問にはお答えできないので私は回答を止めた。このような質問がもう一回あるとの事だったので、私は一回目が終わった時に試験官に「この試験結果は公安委員会に提出されると思いますが、これは思想調査ですか?。また、この回答により免許の取得に影響があるのですか?」と聞いた。
試験官は「私たちは、公安委員会の指示通りにやっているだけで内容に関しては知りません。また、単なる適性調査なので、免許の取得には影響ありません」と答えたので、「では、私は回答を拒否します」と言って白紙で提出した。
時代錯誤もはなはだしい何ともおぞましい質問にも驚いたが、何の疑問も持たずに真面目に〇や×を書いている若者たちにも驚いた。どうなっているんだろう???
後日届いた試験結果には「問題の趣旨を理解されなかったか、自分のことをほとんど自覚又は反省していないかでしょう。性格診断が出来ません」ときたものだ。こんな質問には答えないという正しい対応の意味も理解できないし自覚も反省もしないんだろうな。
昔は、教習所は数少ない警察官僚の天下り先で、所長も教官も警察か自衛隊上がりと相場が決っていたから、それこそひどい教え方をしていたそうだが、今はとっても民間企業的にビジネスライクな対応をするようになっているようだ。教官も、個々の人には問題が無いようだが、やはり、この歪んだ免許取得制度に何の疑問も持たず淡々とブロイラーの育成を続けることに何の疑問も持たない仕事ぶりには、仰げば尊しの気持ちは芽生えてこない。

暇を見つけてはせっせと教習所に通い、発注しておいた「マセラッティ・クアトロポルテ」の納車直前に、約22年ぶりに日本の免許証を手にしたが、窓口で免許を受け取ったら「隣の④番の窓口に行ってください」と促されて移動したら交通安全協会が口を開けて待っていた。一応、任意だという知識はあったので「必要ありません」と言ったら「皆さん安全のために入会されますが」と言うから「強制ですか?」と聞いたらもごもごと何か言っていたが無視してその場を離れた。その横にはJAFが口を開けて待っていたが、これらの警察の天下り先の癒着が露骨な集金システムであっても、免許を取得した喜びで高揚している人たちは疑問も感じないままに入会している人が多かった。

追記→自動車教習所で直ちに改正しなければならないのはブレーキを踏む足を左に指導する事だ。時速40Km/hで走行する車両が交差路に差し掛かった時に自転車が飛び出してきた場合、右足をアクセルから話してブレーキペダルに移動するのに0.2秒かかるとしてもブレーキが利き始めるまで2.2mは減速しないまま走ってしまう。交差路に進入する際に左足でブレーキが利く寸前まで踏んでいれば、何かあった時は即時に減速を開始できるから安全性では比較にならないし、私は、右足ブレーキの運転では絶えずひやひやと肝を冷やしながら乗っている。加えてペダルを踏み間違えての暴走も根絶できるのに、なぜ改正されないのかと言えば、怠慢だ。
そもそもブレーキが右足になったのは、まだMTが大半を占める時代にATが台頭し始めた時代、踏み間違いを避けるためにMTと同じ右足でブレーキを踏ませようと決めただけで機能的な理由が有る訳ではない。ほとんどがATとなった現在、単なる時代錯誤だ。つまり、老人がブレーキを踏み間違えて暴走するのは自動車教習所の責任だ!

ページのトップへ戻る