COLUMN / ESSAY

「24時間目、疲労と感動の方程式」 ―ルマン話―

長かった夜も明けて陽もずいぶん高くなり、スタッフの疲労が極限に達すると思える頃、マシンの調子は結構安定してくる。
そこでまたメカニック達は少し力を蓄えて最後の山場に備えるわけだが、こういう緊張の中にも、ちょっと気だるい雰囲気の漂うような時に、必ず誰かが「こういう、あと少しって時に、きっと何かが起こるんだよね」なんていらないことを口走るのもお約束だ。
言霊なんて信用する訳ではないが、今年もまた、誰かがこのお約束のような台詞を口走った途端に、モニターに白い煙を吐きながら走行する「童夢S101」が映し出されているではないか。ピットに飛びこんできたマシンのカウルを外して見るとギアボックスのオイルの蓋が緩んで漏れたオイルがエキパイにかかって煙を出していただけだった。さっそく蓋を締め直しておしまい。
言霊なんて信用する訳ではないが、それでも今年は、ポールポジション、ポールポジションと叫び続けてきたから、これが言霊効果なのか、ひょっとしたらという希望的観測も芽生え始めていた。本来は、無限エンジンを搭載し、チーム郷が勝利を請け負ってくれるという計画だったから、童夢としても、マシンには、かなりの費用を投じて全面的に改良を施していたし、基本性能には自信があった。
しかし、諸般の事情でこの計画が頓挫した頃から歯車が狂い始め、紆余曲折の結果、昨年に引き続きJanのチームに頼らざるを得なくなり、時間的にも予算的にも所定のテストスケジュールすらこなせなくなっていた。
結果は惨敗だった。テストデー、予選、本戦、全てにおいてAUDIはおろか、ダラーラにも勝てなかった。原因は単純に、急造チーム故の準備不足だったし熟成不足だったが、それも含めてルマンというレースだから、悔しいが、それが実力だった。

とにかく、長かった24時間は終わった。みんな肩を抱き合ったり、胴上げをしたり、泣いている人もたくさん居る。感動が天から降ってきてサルテ・サーキットを覆い尽くしているような感じだ。
落胆している私は、素直にこの感動に身を委ねられないまま、この感動の坩堝の隙間から冷静に状況を観察していたが、これは理屈ぬきに24時間頑張った自分にたいする感動であり、だからチームが何位でも関係ないし、疲労と感動が比例した興奮状態なのだから、土台、のうのうとホテルに帰ってシャワーを浴びて、ゆっくりと睡眠をとって、おいしいベーコンに舌鼓を打ってから、昼頃に清々しい顔でサーキットに現われたような不届き者(奥、山口、林)にはしょせん感動する権利などないのである。
しかし、頭の中では8位という結果に不満一杯のはずの私だったが、よく考えたら、私は、このゴール直後の感動の坩堝を体験したことが無い事に気が付いた。童夢としては通算10回のルマン挑戦で、過去には完走1回、それもスタート後すぐにギアボックスが壊れて、3時間のピットストップののちに最下位でゴールした完走とも言えない結果で、しかも私は、そのときはパスポートの期限が切れていたのを忘れていてルマンに来れなかったから、結局、今だかって、最後までサーキットに居たことは無かった。
土台、8位で文句たらたら言える身分では無かったが、不満げな態度の裏腹に、来年に向けて今まで以上にやる気満々な私が居た。

林 みのる

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