童夢へ
94/331

手の方のスケッチブックがお気に入りだった︒ その薄手の紙は鉛筆が乗りやすいのに︑トレーシングペーパーのように下の絵が透けて重ね描きができて便利だった︒第一︑父の書斎には絶えずたくさんストックされていたから使いたい放題だったが︑とにかく︑絵を描くことだけには寛大な父だった︒ 特に︑1962年にHONDA S360のプロトタイプが発表されてからは︑ホンダスポーツベースのレーシングカーの絵がほとんどになっていった︒ その後︑1963年にS500が発売された時に︑京都の街に1台のS500が走り出した︒私たちが軽四で走っていると︑たまにその雄姿に遭遇することがあった︒ 走る姿を見るだけで興奮もので︑後をつけようとしても瞬く間に視界から消えて行った︒ しかし︑この有名家具屋の御曹司は飛ばし屋だったので︑あっという間に大事故を起こしてS500は全損してしまった︒ ホンダSF︵サービス・ファクトリー︶の裏に置いてあるという■を聞いて見に行ったが︑車体は大きく破損しているものの︑エンジンやミッションは使えそうだしフロントまわりも無86

元のページ  ../index.html#94

このブックを見る