机の上に山と積まれたバイクや自動車の雑誌等を片付けている間に読みふけっているか絵を描きだすか︑結局︑試験勉強にまでは行きつかない︒ こんな真っ暗な中学生時代には︑何回か︑思いあまって﹁退学届﹂を提出したことがある︒学力の問題も出席率の問題も母の心配も︑全ては学校に起因するものだから︑最初から行かなかったら問題ないだろうという単純な動機︑または単なる逃避でしかなかったが︑もちろん母が書く訳も無いから︑見よう見真似で自分で書いて提出するものの︑担任は一■しただけで引き出しに放り込み︑放課後︑私が帰宅する前には自宅に舞い戻っていた︒学校から電話があり母が取りに行って謝っていたようだが︑当然そんな時は︑くどくどと母の叱責を受け﹁二度としません﹂と言うまでは寝かせてもらえなかった︒ 学年10番を5番にしようとかいうような具体的な方法論を検討できるような話ではなく︑現在でいえば︑部屋に閉じこもった不登校児をどうして学校に行かせようかというような難しいケースだったから︑まじめ一方の母の心労たるや察するに余りある︑なんて私の言うべきセリフでは無いが︒76
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