銀■■■杏■の争奪戦︑冬は土手に雪を盛ってのゲレンデ作りと忙しい︒自宅の広い庭に加えて︑道を隔てた向かい側には20万坪を誇る京都御所が控えており︑そのほとんどの場所に立ち入れる︒つまり︑私の庭のようなものであり︑子供が遊びまわるには充分な環境が整っていた︒ 春は池で魚釣り︑夏には大樹の頂点を極めての度胸試し︵これはマジ怖かった︶︑秋には 小学3年生くらいから徐々にもの作りに没頭するようになるまでの私は︑日中は︑ずっと外で遊んでいるような自然児ともいえる生活環境にいた︒ 家にいる時は100%何かを作るか絵を描いていた︒絵描きの家だったから絵を描くことには寛大で︑毎日のように︑大きな部屋の板張りの壁面いっぱいに︑チョークで戦車や戦艦の断面図だとか自動車の分解図だとかを描いていたが︑朝になったらきれいに消してあり︑また違う絵を描き始めるという毎日だった︒ よくありがちな︑﹁天才少年﹂的な褒められ方をしていたから︑写真の一枚でも残っているのかというと︑これがきれいさっぱり何にもない︒41少年時代
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