童夢へ
46/331

トも返すことになり︑広かったジ■ングルのような庭もアパートの庭だったのでなくなり︑広大だった林家はたちまち98坪の母屋だけになってしまった︒ なってしまったというよりは︑本来の家はこれだけで︑その他はいろんな人に頼まれて預かっていただけだった︒ 裏の大きな倉庫の中に山積みされていた︑大きな板ガラスの山や自転車のマーク類や建築金具類や厚さ50 mmもある桜の一枚板でできた棺桶のような多数の箱や︑その他さまざまな物品は︑終戦時に︑たまたまお金を持っていた父を頼ってお金を借りに来た人たちの担保物で価値のあるものは何もなかったし︑誰も引き取りにも来なかった︒唯一︑桜の箱だけは私の38 cmウーファーのエンクロージ■ーに活用されたが︒ 黒塗りのビュイックも︑よく見ればポンコツ寸前のオンボロで︑お客を比叡山ホテルに案内する途中のドライブウェイで︑プロペラシ■フトが脱落しそのままスクラップになってしまった︒ お手伝いさんたちも︑昔は若狭地方では娘を京都に花嫁修業に出す習慣があり︑たまたま父がある村の村長さんと知り合いだったから次々と引き受けていただけで︑まともに給料を払っ38

元のページ  ../index.html#46

このブックを見る