この事実が母にばれた頃には︑もういろいろな雑誌に取り上げられたり︑レース界での交友関係も拡がり︑母にしては︑﹁この子は一体どうなっているんだろう?﹂と判断に苦しんでいた時期のようだが︑この頃には︑さすがに大学に行かなくなったからといって落胆するような事もなく︑心配しながらも自分の手を離れつつあることを理解し始めていたようだ︒ このようにガチガチの教育ママに加えて︑超常識人であり超堅物であったために︑東次郎の友達のアメリカ帰りの女の子が我が家を訪れた時も︑ノーブラ︑タンクトップだったために︑﹁あんな娼婦のような女は二度と連れてこないで!﹂と激怒していたし︑当時︑最先端だったティッシュペーパーを神戸のアメリカンファーマシーで買って持って帰ったら︑﹁こんないやらしいものを持ち込まないで!﹂と怒られた︒コカ・コーラを持って帰った時も︑﹁これを飲んだら変な気持ちになるらしいから飲んじゃダメ﹂と捨てられてしまったし︑とにかく偏見に満ちた潔癖症という性格だった︒ 父が京都駅の駅長と友達だったので︑京都駅に観光デパートというのができた時に︑テナン35林 宇多子という母親
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