童夢へ
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 そんなわけで大学生活が始まったが︑一応︑自動車好きの集まる学校で﹁カラス﹂で優勝したことは知れ渡っていたし︑その頃の私の足といえば︑生沢徹ちゃんが日本グランプリで乗っていたスカイラインGTのスペアマシンだったから︵詳細は後述︶︑たちまち学園のヒーローとなり︑先の高校に続いてかなり居心地は良さそうだったが︑何しろ︑当時はもう会社とまではいかないまでも︑チームを結成してMACRANSAの原型となるマシンを作り始めていた時期だったからとにかく忙しい︒当時は携帯電話もなかったから︑たびたび用務員さんが伝言にやってきて︑厭■■■味ったらしく﹁社長さん︑また会社から電話だよ﹂と呼びに来る︒たいがい集金に来ているが金がないというような内容の話だが︑おちおち授業も受けていられない︒たちまち学校には行かなくなってしまったが︑なにしろ私はこの新設校のヒーローだから︑級友たちは何とか継続させようと組織的に代返したり試験に出たりしてつないでくれていたし︑母は母で︑学校から授業料の払い込みの案内が来ると︑まだ続いているんだと安心して払い込んでいたので︑正味2■月あまりしか通学していないにもかかわらず︑体育の授業でたまたま発覚するまで︑実に2年生後期まで在学していたことになっている︒34

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