郎がこう言っているというと要求が通るようになってきたものだから︑私は大いに東次郎の名前を利用したものだ︒ だから︑東次郎と﹁カラス﹂を作ろうという話になった時も︑援助こそしなかったが︑以前なら100%︑﹁受験を控えた浪人生が何を考えているのですか!﹂と烈火のごとく怒るはずが︑東次郎の手前もあり黙認してくれた︒ その上︑最終的にカウル等を製作する場所さえなくなり︑自室に持ち込んで作業を続けていて父親と大激突した時も︑東次郎さんとの男の約束なんだからやらせてあげてと︑とりなしてくれたから︑なんとか曲がりなりにも形にすることができた︒ カラスを作った後も︑どうしても大学だけは行ってほしいという強い要望は続いていたが︑私といえば︑さっそくカラスの次の計画に取り掛かっていて取りつく島もない︒それでもあきらめずに︑自動車工学部のある新設校を探してきて熱心に勧めるものだから︑自動車工学部の名前につられてしぶしぶ受験だけしたら合格してしまった︒新設校だから全員入れてしまったのかどうかは知らないが︑もとより合格するはずもない試験だった︒33林 宇多子という母親
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