童夢へ
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もよいことを幸いと︑毎日︑バイトと車で走り回る日々が続いていた︒ この頃の頭の中は︑ほぼレーシングカーを作ることだけで占拠されており︑中学からの同級生の鮒子田寛との鈴鹿詣でで知り合った︑レース界のいろいろな人たちとの交流が始まっていた︒中でも︑浮谷東次郎や本田博俊なんかは鈴鹿に来たついでに︑京都の我が家に泊まりに来たりしていたので母とも親しくなっていた︒ お金もなくまだ飲み歩くような歳でもなかったので︑夜は走っているか家で話し込んでいるのが普通だったが︑夕食後などには時々母とも話をしていて︑博ちゃんなんかは﹁頼んで産んでもらったわけではないから育てる義務がある﹂などと青臭いことを口走るものだから︑﹁よくお聞きなさい﹂などと母に説教されていたものだ︒ 東次郎はそのあたりは絶妙のあしらい方で︑いつも私の才能について絶賛してくれていたから母の大変なお気に入りで︑これがその後の展開に大いに威力を発揮することになる︒ とにかく︑私が生まれてこの方ずっと悲嘆にくれ続けていた母にとって︑初めて自分の息子を評価する話を聞いたものだからすっかり東次郎ファンになり︑それ以来かなりの部分︑東次32

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