しかし︑生徒のほとんどが不良か落ちこぼれのようなこの学校の学力は最低レベルで︑京都の学校でクラス最下層だった私がクラストップになるくらいのひどいレベルだったから︑急に優等生になった私にとって居心地は悪くなかった︒何よりも︑レース用バイクに乗る学力優秀な私はけっこう人気者で︑放課後︑級友たちが連れて行ってくれる怪しげな喫茶店にたむろする女子高生との出会いも興味津々だったし︑時々︑父が心斎橋に持っていた小さなビルの一室に泊まる時なんかは︑夜中まで喧噪の続く宗右衛門町あたりを■徊し大人の世界を垣間見るのが楽しみだった︒ 地獄のような理不尽な学校とは裏腹に︑私はこの学生生活をかなりエンジョイしていた︒ある休みの日︑級友が女の子を連れてくるから生駒山にツーリングに行こうという話になったが︑恐らく︑私の一生の中で最も雨が降ってほしくないと願った当日は快晴で︑生駒山に向かう途中︑バイクの後ろから私の背中に伝わる暖かさと弾力に思わず急ブレーキを多用した純情な私が懐かしい︒ その年は入試が間に合わなかったために浪人生活が始まることになるが︑学校に行かなくて31林 宇多子という母親
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