継続させるには事業化しなくてはならないし︑借金しない前提のはずの計画なのに︑やりたいことはやりたい︑ないものはない︒結局︑まともな計画など︑どこをどうつついても不可能なことは充分に承知の上で︑1975年のまだ寒い頃︑マンションのオレンジの部屋の隣室の事務所に︑デザイン用具や︑企画書を作成するためのトレスコープなどを買い込んで︑たった一人でスポーツカー・メーカーの設立準備が始まった︒ あるのは狂気だけ︒またぞろ︑ルーレットの赤黒に10連勝するくらいの確率の無謀な■けがスタートした︒ ﹁童夢から﹂に続く︒323童夢へ
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