﹁童夢へ﹂ ﹁そうだ!スポーツカー・メーカーを作ろう!﹂もうすぐ30歳に手が届きそうな頃だった︒わずかな経験しか持ち合わせていない︑ないないづくしの若者が︑また突拍子もないことを考え始めたものだが︑もちろん︑生産設備や販売ネットワークなど考え出したら空想はそこで終わってしまうから︑とにかくプロトタイプをでっち上げて︑その後は︑それから考えようという杜■■■■な絵空事でしかなかった︒ この時点では︑その後に押し寄せてくるスーパーカーブームなど予兆すら感じられなかったが︑目標はまさにスーパーカーだった︒ 一人で資料を集めて回り︑一人の事務所で構想を練る日が続いていたが︑どう計算してみてもプロトタイプを作る予算だけでも2億円は下らない︒実際にはもっと必要となるだろうし︑生産︑販売となると少なくとも一桁違うオーダーとなるだろう︒確か︑手元には1000万円くらいしかなかったと思う︒322
元のページ ../index.html#330