童夢へ
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レに行く以外は次の日の朝まで眠り続けて回復する︒母は︑これはある種の癖か病気と解釈していたようで︑かかりつけの医者などには相談していたようだが︑夜中に内緒で本を読み続けていたことには︑ついぞ気が付かなかったようだ︒ ただし︑エアコンもないこの時代︑夏の間は布団もかぶれないので︑廊下の板をはがしてスイッチを埋め込み警報装置を作っていた︒母が近づいてくると風鈴がチリンと鳴る優雅な装置だったが︑風もない室内で母が来るたびに風鈴がチリンと鳴るのはどう考えてもおかしいのに︑気づかれることはなかった︒ 私は︑この超常識人を標■■■■榜■する母にとっては困り果てた存在だったようで︑私の常識はずれの行動の数々に驚き呆れて叱りつつ︑本質的には自分の規範の中に押し込める努力を続けてきた人である︒ 私は全く覚えていないが︑仲良しだった隣の寛ちゃんと幼稚園に通いだした頃︑20日余りで強制退園になってしまったらしい︒母によれば︑先生のことをお手伝いさんと間違っていて︑そのお手伝いさんがいろいろと口うるさく命令ばかりするので︑腹いせのためにお遊戯室で暴25林 宇多子という母親

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