﹁山崎勇祐﹂ 若い頃は︑東大阪のやくざ相手に喧嘩ばかり売っていたので︑やくざから﹁ごくぼん︵極道のぼんぼん︶﹂と恐れられていた豪放磊■■■落■というか超自然児というか︑とにかくスケール感のとても大きい快男児がいた︒ 勇さんは将一の幼馴染だったから子供の頃からの知り合いだ︒大人になってからはしばらく音信不通だったが︑勇さんもハングライダーをやっていると聞いて連絡をしてみたら︑さすがそういう嗅覚は鋭く︑すでに違うアメリカ製のハングライダーの輸入を手掛けていた︒ その頃は︑何となくだがクルマ作りへの情熱が再燃してきていたし︑たぶん︑ハングライダーの仕事は続かないと思い始めていた時期だったので︑勇さんに話をして︑UPの販売権を譲るというか後を取ってもらうというか︑とにかく任せるという話になった︒ 勇さんはその後︑ピートと仲良くなり世界のハングライダー大会で活躍したり日本のトップフライヤーとして君臨していたり︑たちまちUPは世界のトップブランドとなるとともに︑315山崎勇祐
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