して師事されていたので︑いろいろ親しくお付き合いいただいていたようだ︒ しかし︑この赤本に掲載されていなかったおかげで︑相続の時に︑残された大量の作品は無価値とされ課税を免れた︒生沢朗画伯の相続税をガッポリ払わされた生沢徹ちゃんと大違いだ︒ 30歳を少し過ぎた頃︑このようにほとんど接点を持つことがなかった父から︑唐突に電話がかかってきた︒相変わらず︑息子にどのような口調で話したらいいのかさえも不慣れな感じでぶっきらぼうに︑﹁知り合いの娘さんの縁談について聞きたいことがあるので︑至急︑東京まで来てくれ﹂とのこと︒さっぱりと訳が解らなかったが︑断る理由もなかったのですぐに東京まで出向いたら︑その話というのは︑私の親しい友人である︑現ワコール社長の塚本能■■■交■のお見合いについてだった︒ 先方は父の親友でコクヨの社長をしていた黒田靖之助氏で︑﹁私の宝物のような娘の縁談の話だから絶対に正直に教えてほしい﹂と釘を刺されたうえで︑能交の事を根掘り葉掘りと聞かれた︒この黒田靖之助氏は︑つるんとした風貌の︑人の良さそうなお父さんだったが︑決してイケメンという訳でもないし︑この顔から想像できる若い女性の顔のイメージが︑どうしても21林 正治という父親
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