PANICも随所に安く作るための工夫が凝らしてある︒フレームは精密な図面を描き︑使用するパイプのすべての端末をエンドミル加工してはめ込んでいけば︑形が固定されるように設計してあるから定盤も立体的な治具もいらない︒それを二枚作って同じくエンドミル加工したパイプで左右をつなげば完成する︒ これらのフレームの加工だけは設備の整ったハヤシレーシングで行い︑その後︑京都でボディの製作や最終仕上げを行った︒ボディもアクリルの一次曲面に周囲だけを造形した超手抜きデザインで瞬時に完成したが︑突然︑トヨタワークスをリタイアしたばかりの坪ちゃん︵大坪善男︶が8月22日︵1971年︶の鈴鹿グレート20レースに乗りたいと言ってきたので︑大急ぎで完成させることになった︒ボディとシ■シーはおおむね完成していたが︑その他のエンジンの架装や足まわりの組み立てや配線配管などの作業が残っており︑私一人では間に合いそうもない︒ 窮した私は︑レーシング・クオータリーで知り合ってから長い付き合いになる解良喜久雄に275PANIC
元のページ ../index.html#283