童夢へ
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具の製作会社も︑万博景気の余韻で活況を呈しており仕事があふれていた︒ おかげで仕事は山のようにあり︑以前からやっていた石垣やかわら屋根なんかも順調に出ていたし︑流行り始めていたFRP製の家具なども好調だったから︑途中からは︑私が小屋を借りてFRP製品の開発的な仕事を受けたり︑子分どもに石垣等の量産品を張り込ませたりして仕事としては順調だった︒ 私は︑たちまち借金を返してしまったから︑周囲の誰しもがそのまま事業を拡大していくものだと思っていたようだが︑借金を完済したという事は︑その後は手元にお金が残っていくという事であり︑そうなってくると︑もうレーシングカーを作りたくて矢も■もたまらなくなっていて︑頭の中はそれしか考えていない状態になっていった︒しかし︑いつもと違い︑頭の片隅で︑かすかな理性が﹁いい加減にしておけ﹂と囁いていた︒271京都へ

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