﹁京都へ﹂ 話は戻るが︑Mの兄も精一杯の努力を続けていたが︑EVAの命運も尽き果てようとしているのは誰の目にも明らかになって来ていた︒ そんな頃でも︑朝︑工場に行くとバッグを一つだけ持った男の子が軒下で寝ていたりする︒ 話を聞くと﹁レーシングカーを作りたいけれど親が反対するので家出してきた︒食事だけさせてくれたら給料は要らないから雇ってほしい﹂と言う︒ 拓也やOがそうであったように︑当時の従業員のほとんどはこのような押しかけ従業員ばかりで︑社員の募集とか入社試験などした記憶がない︒ 現在の童夢でも︑待遇改善とか給料を上げろなんて労使交渉のようなことは一度もなかったが︑これは︑社員が満足しているというよりは︑私が本気で﹁こんな楽しいことをやらしてやって︑その上に給料まで払ってやっている﹂と思っているのを知っているから︑し■せん︑話にならないだろうと諦めているからだろう︒267京都へ
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