童夢へ
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それでもついに4月5日の鈴鹿500㎞レースには間に合わず︑私はひたすら慶治に謝ってデビューレースを4月19日の富士のジュニアセブン・チ■レンジカップに延期してもらった︒ 慶治はぶつぶつ言っていたものの︑決してさぼっていたとかいい加減にやっていたとかではなくやり尽くしてなおかつ間に合わなかった状況を目の当たりにしているので︑それ以上は何も言わずに残金も支払ってくれた︒ それから数日後に︑一応︑走る状態になったところでフェンダーなどのディテールの仕上げに取りかかろうとした頃︑慶治がくさびを取りに来てどこかのスピード・ショップに持ち込み細部を仕上げてジュニアセブン・チ■レンジカップに参戦した︒ フロントフェンダーなどオリジナルデザインのアイデアを持っていたのでち■っとがっかりしていたが︑慶治にしてみれば︑もう精根尽きはててふらふらな我々に自分の命を託すレーシングカーの仕上げを任せるには不安が大きすぎたのだろう︒ 私はその後︑ぶっ倒れてしばらく再起不能状態だったからこの富士のジュニアセブン・チ■262

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