童夢へ
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とかいろいろなオーディオ関連機器を買い込んでおり︑父のギブアップ後は︑すべてが私のものになったから︑これらは私のオーディオ設備増強計画に大いに役立った︒ また父はアイデアマンで︑いわゆる町の発明家だったが︑54も特許を持っている割には実用化されたものは少なく︑多少︑世の中に出たものといえば︑安全なワッカ付きの牛乳の栓抜きくらいだった︒ 絵を売ることが主たる職業だったから︑いわゆるプロの画家であることは間違いないが︑生涯を通じて画商を通さずに︑東京と大阪と京都の三越や大丸の画廊で個展を開催して︑直接に販売していたから業者の手を経たことがなく︑従って取引実勢価格︵いわゆる赤本︶への記載がないために業界ではプロと認識されていない︒ 毎回︑個展の前日には会場で前夜祭が開催されたが︑その会の常連はだいたいが父の絵のファンだったから︑ほとんどの作品は開場までに売れてしまうほど完売率は高かった︒ 本田宗一郎さん宅や皇族のお屋敷などにもかなりの数の絵が飾られているはずである︒ちなみに本田さんは会社をリタイア後︑絵を習いたいと仰■■■■るので父を紹介したところ︑意気投合19林 正治という父親

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