童夢へ
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﹁田中慶治﹂ 慶治は︑京都近郊の走り屋仲間ではブイブイいわせていた男だが︑少し年齢が若いから直接対決したことはない︒父親が段ボール関係の大きな会社を経営している︑いわゆるぼんぼんである︒ 慶治は︑68年〜69年にかけてMACRANSAでレースに参加していて仲良くなった関係で今回のくさびを購入してくれることになっていた︒ 当初は︑1970年3月8日に開催された第3回東京レーシングカー・ショーの直後の4月5日の鈴鹿500㎞レースでデビューする予定で計画を進めていたが︑未完成のままショーに出展してしまったから︑くさびを1■月弱で完成させなければならない︒ ショーまでの疲れをいやす間もなく直ちに仕上げにかかったが︑ショーの直前のパニック状態で手抜きをしたところが多すぎて膨大な作業量が残っている︒ 3月の末あたりになると恒例の徹夜続きになるが︑予定の納期に納められなかったら残金が260

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