﹁川崎馬絹﹂ ショーでの好評に勢いづいたEVAは川崎のインターを出てすぐの馬■■■絹のあたりに大きな工場を借りて︑さっそくレーシングカーの生産を開始した︒ 私も一緒に移動して近くにアパートを借りたが︑よく居候はしていたものの独り暮らしは初めてで︑それだけのことなのだが何故かとても大人になったようでうれしくて︑朝食の買い物に行くなんてことがたまらなく楽しかった︒洗濯だけはどうするのか解らなかったが︑当時︑仲の良かったM子ちゃんが︑時々︑京都から来て掃除や洗濯はしてくれた︒ このM子ちゃんの家は少し奥まった小路の突き当りにあるが︑いつも彼女の家に遊びに行く時はバックが面倒だからスピンターンして向きを変えてから駐車していた︒現在も道の幅は変わっていないのに︑今見ると絶対にスピンターンできるような幅ではない︒ とにかく︑当時の私は︑ドリフトしているか滑っているかしないと走った気がしない性■■質だったから︑宝■池に向かうキツネ坂も常に横を向いて走っていたが︑今︑同じ場所を走っていて248
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