はずの土地は失うわ︑家族はそれ以来︑年中︑どこに何のはがきを出すにしても年賀状を使わなくてはならなくなるわ︑全く大迷惑な話だったが︑ おかげで2年目からは右肩上がりに販売数が伸び︑現在では年始の風物詩としてなくてはならないものになっている︒ 成功に気を良くした郵政省がお礼にやってきたが︑対価は︑手土産に持ってきた一升瓶1本だけだった︒ お年玉付き年賀はがきを成功させた父は︑次に︑﹁声の郵便﹂の開発に熱中していた︒この頃も相変わらず顔を合わせることは少なかったが︑父の書斎からは︑夜中17林 正治という父親年賀はがきの新聞記事もう話題にもならないが、一時期は、大■日が近づくと取材が相次いでいた。ちなみに、我が家では最高4等しか当たったことがない。
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