﹁金古真彦とライザGT﹂ そんな頃︑本田博俊が︑﹁有名なカーデザイナーを数多く輩出しているアート・センター︵LA︶に在学中の友達が︑卒業作品を製作するために日本に帰ってくるので家のガレージを貸してあげることにした︒最新の技術を持っているらしいから見に来ないか?﹂と誘ってきた︒ もちろん興味津々だから最新の技術を見学に出向いたが︑あらわれた金古真彦︵ネコちゃん︶はアメリカ帰りなだけに︑非常にオープンマインドでアグレッシブでハッピーな性格で︵なぜか英語になってしまったが︶︑たちまち10年来の知■■己のように親しくなってしまった︒それ以来︑頻繁に本田家に通って見学したり手伝ったりしていたが︑スケッチの描き方は︑当時︑アート・センターを中心に流行りだしていたマーカーを使った最先端の描法でさすがという感じだったものの︑ボディの製作方法はオーソドックスなものだった︒ 縦横のセクション板の製図法も私と同じだったし︑セクション板の間にウレタンフ■ームを充塡して面を出すのも変わりはなかった︒239金古真彦とライザGT
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