正月を過ぎても製作予定ははるかに遅れており危機的状態だ︒工場内はパニックのような忙しさが続いていた︒毎日見学に来ていた拓也少年は見るに見かねたのか︑﹁あのー︑何か手伝いまし■うか?﹂と声をかけてきたが︑総体的には﹁ガキの出る幕じゃない﹂という雰囲気だった︒しかしそのうち︑猫の手も借りたい状態になってきて︑これを拭いておけとかこれを混ぜておけとか差しさわりない用事を手伝ってもらうようになってきたが︑何をやらしてもそつなく上手い︒ 自然と徐々に高度な作業をしてもらうようになってきたが︑特にFRP成形作業に関してはかなり手なれた様子で上手くこなした︒それを見ていた私は﹁明日から毎日来なさい﹂とバイトに使うことにし︑私の記念すべき弟子の第1号が誕生した︒ 後で知ったことだが︑拓也はそれをきっかけに学校も辞めてしまって工場に通い詰めていたということだから︑ひ■っとしたら私が彼の人生を捻じ曲げてしまったのかもしれない︒ 拓也といえば69年も押し詰まった厳寒の頃︑もう捨てようと思っていた私のコンテッサ・ クーペがほしいというので東京に行くついでに乗って行ってやることにした︒いつものように233由良拓也
元のページ ../index.html#241