童夢へ
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手代の1円分を寄付金に充■てるシステムを考案したが︑当時の郵政省は1円損をするこの計画には反対で大変に消極的だった︒何度も郵政省に陳情を繰り返したが話は進展せず諦めかけた時に︑知り合いだった︑時の郵政大臣の鶴の一声で急転直下実現することになったが︑準備不足の上に郵政省がしぶしぶやっているものだからろくに宣伝もせず︑初年度の販売数は微々たるものだった︒あんまりたくさん売れ残ったものだから︑このままでは次年度は消滅必至と判断した父は︑所有する大きな土地を売却して売れ残りを買い取った︒161935年型ビュイック小供の頃はショーファードリブンのリムジンだと思っていたが、今写真を見るとかなりのポンコツだ。処分した時には引取料を取られた。 おかげで将来︑私が左うちわで暮らせる

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