に欠けたが︑いつものように時間がなく徹夜に近い状態が続いていたから︑ひたすら突っ走るしかなかった︒ Mの実家では︑毎朝︑納豆が出される︒最初はこの匂いさえ嫌で閉口していたが︑そのうち朝食には欠かせないものになっていたし︑昼食に工場の近所のうどん屋に行くと醤油色の麺つゆが出てきて食えたものではなかったが︑毎日のように食べているうちに馴染んできた︒初めての京都以外の土地での長期的な生活は違和感と興味のカクテルのようなもので決して楽しいというほどではなかったが︑私はそれなりに東京での暮らしをエンジョイしていた︒また︑Mの兄はジムカーナで50連勝とかの負け知らずが自慢の︑運転にはとても自信を持っているアマチュア・レーサーだった︒しかし︑私もこの点においては只者ではなかったから︑夜中までどちらが速いかを口論していたが埒があかないので︑それならばとMの兄の乗っていたサニーで箱根に出かけて勝負することになった︒ ただ︑私は道が解らないので私が運転する時はMの兄が助手席で教えることになっていた︒私が運転して箱根のつづら折りを駆け上っていく時︑﹁右っ!﹂というMの兄の指示に従って車を左に寄せた途端に左回りのコーナーが迫ってくるのが見えた︒230
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