童夢へ
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かりした商売人風で︑今までの私の知り合いの趣味人グループにはいなかったタイプの人だったから︑話を重ねていくうちに︑この人だったらレーシングカー作りをビジネス化するという夢のような話が実現するかもしれないと思えるようになってきた︒ それは︑私にとっては見果てぬ夢のようなことだったから︑その可能性が少しでも見えるということはそれだけで充分に価値のあることのように思えてきた︒ 結果︑かなりの金額を出資して参加する事になったが︑ただ︑最初からの疑念は強く持ちつづけていたから︑たとえ成功してもここに骨を埋めるというつもりは全くなく︑あくまでも第2回東京レーシングカー・ショーまでの緊急避難的手助けであり︑このプロジェクトの先行きが見えるまでの興味本位のお付き合いという感覚だった︒ そうしてMの実家に居候しながらのレーシングカー作りが始まったが︑私の担当は軽四のエンジンを使ったCAN| AM風の廉価版オープン・2シーターのFRPモノコックの開発であった︒仕事の内容はTOJIRO|Ⅲの時の構想の再チ■レンジのようなもので新鮮味229EVA CARS

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