童夢へ
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﹁第1回東京レーシングカー・ショー︵1968年︶﹂ 今は完全にビジネスとしてレーシングカーを開発するようなケースもまれではなくなってきたが︑この頃は︑基本的にはすべての費用を私が負担してレーシングカーを作りレースに出して終わるというルーティンの繰り返しで︑自分で作るお金の範囲内のことしかできない完全な趣味でしかなかった︒ ただただ好きで熱病に侵されたように熱中していただけで︑これが事業として成功するとか将来に光明を見いだせるというような可能性は皆無に等しかったし希望すら持っていなかった︒ だから︑相変わらず母にとっては正業に就かず趣味に溺れる出来損ないだったし︑私自身もまともな社会規範からはみ出した放蕩息子みたいな罪悪感に付きまとわれていたし︑このままこんなことを続けていたら︑きっと将来はホームレスだと信じていたから︑まさに人生の破滅へ向けてひた走っているという感じの毎日を過ごしていた︒初恋のK子ちゃんとも友達関係222

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