童夢へ
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の取調官として知り合ったが︑それから付き合いが始まり︑父はその人の娘さんの結婚式に出席したり︑息子さんの就職の世話をしたり︑親しく付き合っていたということだ︒ また︑これも父が亡くなってからだけれど︑全く知らない人が私の会社を訪ねてきて30万円を返しに来た︒聞くと︑父が足■岬辺りで絵を描いている時に声をかけて知り合い︑その後︑何らかの事情でお金を借りたがなかなか返せずに心苦しく思っていたとのこと︒ このように︑著名人とのエピソードも山ほどあるが市■■■井の人との交際もやたらと幅広かった︒ 子供の頃は︑それらのすべてのことが普通だと思っていたが︑高校生くらいになってから周囲の状況を把握し始めると︑父がかなり特異な人物であることが解り始めたし︑チ■ーチル会にやたら大物女優の会員が多いのはみんな父を慕って集まってくるというような■を聞くと︑なんとなく誇れる父親であるような気持ちになっていたから︑付き合いが希薄でほとんど親としての責務を果たしていないにもかかわらず︑どちらかというと自慢の父親であった︒ また父は︑﹁お年玉付き年賀はがき﹂の発案者である︒戦後の混乱期に消息の途絶えた人たちが連絡を復活できるように︑また︑戦火の犠牲となり困っている子供たちへの支援にと︑切15林 正治という父親

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