知り合いだらけだった︒また︑その知り合いを大切にしたから︑タクシーに乗るにも流しを拾わずにいちいち知り合いの会社のタクシーを呼ぶものだから︑通り過ぎる空車を見送りながら長々と待たなくてはならないのが常だったし︑京都駅から電車に乗るにしても︑駅長が友達だから︑駅長室でひとしきり話をしてからでなければ電車に乗れない︒大丸に行くと店長が応接室で待っていてお茶を飲んでからしか買い物は始まらないし︑イノダコーヒに行けば指定席があって︑オーナーの猪田さんや常連が飛んで来て盛り上がるものだからいつまでも帰れないし︑都ホテルの総支配人とも親しかったので︑普通に予約可能な日でも総支配人に電話をして予約を取るものだから︑結局︑菓子折を持ってお礼に行かなくてはならない︒ とにかく何をするにも︑知り合いの多いことが優位に働くというよりは面倒が増えるというパターンが目立ったが︑家族以外の人間関係だけはとても大切にしていた人だった︒ 父が亡くなってからしばらくたった頃︑空き家になっていた生家に物を取りに行った時にサラリーマンのようなおじさんが家の中を窺っている︒不審に思った私が声をかけると︑父の知り合いらしく︑最近︑音沙汰がないので東京から様子を見に来たとのこと︒詳しく聞くと︑昔︑ヨーロッパからの帰りに荷物が多すぎて税関で調べられたことがあるらしく︑その人はその時14
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